はじめに 記事をお届けするに当たり、この度の北海道における地震災害、関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
現代、日本海側は『裏日本』とか『鄙(ひな)の国』などと言われていますが、遠い昔、弥生時代(紀元前4~500年から 紀元後300年くらい)は日本海側が『表日本』であり、日本海を通じて様々な交流が行われていました。
中国山地の山間に位置する島根県仁多郡奥出雲町。同県を代表する海側の観光地、「出雲大社」からは約70分、松江城からは約60分ほど内陸方面に車を走らせて辿り着く「奥の地」です。
視界いっぱいに広がる田んぼや、町を渡る緑の風、用水路を流れる水の音など、日本の原風景そのままの「懐かしい姿」は、「奥の地」ならではの賜物。
また、古事記や日本書紀で「スサノオノミコトが降臨した」と記されている出雲神話発祥の地であり、「たたら」と呼ばれる製鉄技術を極めた。日本の産業の礎の地でもあります。
奥出雲町は、島根県の東南端に位置し、中国山地の嶺を境に鳥取県と広島県が接しています。日本海側の出雲市や松江市からは約1時間、瀬戸内側の広島市からは約2時間、車にゆられて到着する「奥の町」。といっても、山に閉ざされた閑寂なところではなく、ぽっかり開けた明るい盆地が広がる、のどかな山里です。
光がいきわたる美しい丘陵の尾根つたいに広大な棚田が広がり、その先には悠然とそびえる山々。船通山、鯛ノ巣山、玉峰山、吾妻山、三郡山と登山客にも人気のある山が、町を見守るようにとり囲んでいますが、これらはいずれも『古事記』や『出雲国風土記』に記された、謂れのある山。ことに、船通山はスサノオノミコトが降り立ったといわれる伝説の地で、未知なるロマンを秘めています。
この船通山を源流に宍道湖へと注ぐ斐伊川は「ヤマタノオロチ」神話の舞台であり、言うなれば、このエリアの風土のもと。本町だけでなく、出雲地方全体の暮らしを支えてきた清流です。というのも、奥出雲の大地は上質な磁鉄鉱を含んでいるため、地層を濾過して湧き出る水には鉄分が含まれます。斐伊川流域の肥沃な大地は、この天然のミネラル水が生み出したものなのです。
正直、どこの都市からも遠いので、気軽に立ち寄れるところではありません。ですが、だからこそ「奥」には人をひきつける力があります。「奥は源」、「奥ははじまり」。パワースポットという言葉では片づけられない、生きるエネルギーに満ちたところです。
奥出雲町 スサノオノミコトが降臨したといわれる「船通山」を望むヤマタノオロチ
「奥の地」の文化的景観
文化的景観とは、生活の中に溶け込んでいる身近なもので、認識されにくく見過ごされがちな存在なのです。しかしながら、身近な景観をつぶさに見渡すと、そこに地域のアイデンティティーが刻み込まれ、先人たちの記憶を鮮明に映し出していることに気が付きます。
奥出雲町は出雲国風土記に良鉄の産地と記されて以来今日もなお「たたら製鉄」が操業され、実に千数百年に渡り連綿と炎が舞い上がり続け、我が国の一大生産地帯として隆盛を極めました。
奥出雲町横田地域の鉄穴流し跡地と人々の暮らす集落。「日刀保たたら」は、世界で唯一全国の刀工に「たたら」を供給しています。
地図右下には、 スサノオノミコトが降臨したといわれる「船通山」の文字が・・・
たたら製鉄は砂鉄の採取、森林の伐採など、自然破壊の歴史と捉える向きもあります。
砂鉄採取は、山を大規模に切り崩し水流によって比重選鉱する「鉄穴流し」という独特な手法で行われ、これが数百年間にわたって全町的に営々と稼業されました。しかし、ただ単に山を切り崩して自然を破壊したわけではありません。自然の恵みである砂鉄を採取した跡地は荒廃させることなく豊潤な棚田に姿を変え、広大な農業基盤として復元していきました。また、山林資源は無秩序な伐採をせず、たたら製鉄が永続操業できるよう約30年周期で輪伐しながら保全しました。
このように、たたら製鉄とともに生きた先人たちの記憶を紡いで映しだされる奥出雲の文化的景観は、自然環境と共生し、永続的に循環させるという、人と自然が織りなす世界に類例のない究極の景観を形成しました。
懐かしき日々と現在
奥出雲町 夏の風物詩「大呂愛宕祭り」
大呂愛宕祭りは、鳥上地区大呂地内で行われている火難よけ、五穀豊穣の祭りで、 およそ300年以上の歴史を持つ伝統的な夏祭りです。 毎年、8月下旬の夕暮れから、どう屋台や傘ぼこ、ねぶた、デコ屋台などの山車(だし)行列が福頼、山県公会堂前を出発。代山三叉路、中丁三叉路、妙厳寺下を巡行し、大呂愛宕大権現を目指して華麗な風情を繰り広げます。
愛宕大権現境内では、夕闇にライトアップされた幻想的な光が、可愛らしい稚児の姿とともに、田園晩夏を美しく彩り、子供たちの太鼓やチャンチャ、笛の音が響きわたり、大勢の人たちが過行く夏の一夜に酔いしれるのでした。
天平5年(733)に編纂された『出雲国風土記』の仁多郡の条に、「諸郷より出すところの鐵堅くして、尤も雑の具を造るに堪ふ」と本地域で産する鉄の優秀性が記されています。
以来、営々と砂鉄を採り、炭を焼き、そして“たたら”を吹き続けてきました。今日、砂鉄採取のため鉄穴流しではがされた奥出雲町の大地は、黄金に輝くいなたに生まれ変わりました。
これが、「奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観」なのです。
続く・・・
奥出雲町シリーズ次号のご案内
歴史的に見ると、近世・近代にかけて奥出雲地域は、我が国の鉄生産の中心地として隆盛を極め、たたら製鉄で栄えた地であります。 また、松江藩の鉄政策により、櫻井(さくらい)家、絲(いと)原(はら)家、ト蔵(ぼくら)家という大鉄師(だいてつし)(たたら経営者)を産みだし、櫻井家住宅は国重要文化財に指定され、絲原家住宅は登録有形文化財に登録されるなど、鉄師頭取の佇まいを今に残しています。 次号にてご紹介できればと思います……
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
奥出雲町役場(農業振興課)
〒699-1511 島根県仁多郡奥出雲町三成358-1
TEL 0854-54-2513
一般社団法人奥出雲町観光協会
〒699-1511島根県仁多郡奥出雲町三成641-22
(JR木次線出雲三成駅構内)TEL 0854-54-2260
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