ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~ 日野・五個荘・近江八幡 ~ 近江商人のふるさと「売り手よし・買い手よし・世間よしの『三方よし』の理念とは」

はじめに 記事をお届けするに当たり、この度の九州豪雨と山形沖の地震災害、並びに近年の北海道・関西地方、並びに中国四国・九州地方他、多くの大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。


近江商人免許皆伝書ではありません。但し、
近江商人ゆかりの町連絡会にて発行したガイドブックです。表紙は近江商人ゆかりのお菓子(丁稚羊羹:でっちようかん)をイメージしました。これを読んでも、お腹は膨れませんが、三方よしを学べば心は満たされると思います。

近江商人発祥の左から日野(日野商人)、近江八幡(八幡商人)、五個荘(湖東商人)です

近江商人の店先です。浮世絵や時代劇でよく見かける風景ですね。当時はこんな風にして商いをしたのですね。

歴史民俗資料館(近江八幡市立資料館)は、JR近江八幡駅の北西約2kmに市立資料館と隣接しています。

歴史民俗資料館は、森五郎兵衞の控宅で、近江商人(八幡商人)の往時をしのぶ帳場風景や生活様式をそのまま残し、そのほか多くの民俗資料を展示公開しています。裏庭には、民具。農具などが展示され、水郷地帯の農村の生活を知ることができます。

初代五郎兵衞は、伴傳兵衞家に勤め、別家を許され、煙草や麻布を商いました。やがて、呉服・太物など取扱商品を増やし、江戸日本橋や大坂本町にも出店するなど活躍しました。

現在も、東京日本橋室町に近三商事株式会社として活躍中です。


近江商人に学ぶこと

天秤棒をかついだ一介の行商人から豪商へと成長していった近江商人たち。

天秤棒を持つ日野商人象。近江商人は「朝は朝星 夜は夜星(あさはあさぼし  よはよぼし)」朝は、昨夜の星がまだ空に残っている時分から宿を出発して、夜空に星が出るまで一生懸命に働いたのですね。


現代の若者との会話

エッ、天秤棒って知らない?ほら、子供の頃(と言われても時代が違う)、金魚売のおっちゃんが長い棒を肩に担いで前と後ろに椹(サワラ)の大きな桶に金魚を入れ「え~金魚ぇ~金魚」って、町や村を売り歩いていたでしょ⁉子供たちは皆で金魚売のおっちゃんの後ろにくっついて隣町まで行ったっけ!

見たことないって(そうか!今は熱帯魚や金魚、ペットだってインターネットで買えたんだ)・・・話がかみ合わないので先に進むけれど、精神だけでも分かって欲しいのにな~

近江商人たちに受け継がれてきた家訓や店則には永い商売の実践を通じて得た信念が盛り込まれています。「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の「三方よし」の理念には時代を越えた普遍性・有効性があり、近江商人の高い倫理性や社会貢献は、近年改めて注目されています。


近江商人の天性を一言で表わしているものに「しまつしてきばる」という言葉があります。倹約につとめて無駄をはぶき、普段の生活の支出をできるだけ抑え、勤勉に働いて収入の増加をはかるという、日常の心構えを表現しています。他にも、多くの示唆に富む味わい深い言葉がたくさん残されています。


時代や社会が変わっても、常に世間を重視する視点で商いを続けてきた近江商人の“哲学”や“商法”は、今日に脈々と息づいています。


近江商人の理念・商法


近江八幡市旧市街地にある伝統的建造物群保存地区新町通りの町並み
八幡商人の本宅・本店が軒を並べています。

近江八幡「冬の八幡掘」は風情があっていいもんですね~
近江八幡市旧市街地にある伝統的建造物群保存地区です。
朧げな記憶では、右の柳の横にある土蔵は内部を改修して喫茶店に・・・

見事な枝ぶりの見越しの松「日野商人館 」外観

お庭は更に素晴らしい「近江日野商人館」 

 近江鉄道日野駅の東、大窪集落にあります。静岡県御殿場に出店して大成功した日野商人の名家であり、近江守護佐々木氏の一族を先祖に持つ山中兵右衛門(やまなかひょうえもん)の旧宅を資料館にしたものです。典型的な日野商人本宅の特徴を示す建物であり、館内には初期の行商品や道中具、店頭品をはじめ、家訓などが展示され、日野商人の歴史と商いぶりなどがよくわかります。

五個荘金堂の町並み。電柱は町並みに配慮して塀の中に・・・
五個荘金堂地区は近江商人ゆかりの地として知られており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

町並みを歩くと舟板塀や白壁をめぐらした蔵屋敷があり、清らかな水が流れ錦鯉が優雅に泳ぐ掘割が縦横に走っています。

金堂地区では近江商人屋敷3邸(外村宇兵衛邸・外村繁邸・中江準五郎邸)と金堂まちなみ保存交流館が公開されており、近江商人の本宅の佇まいを知ることができます。

平成27年には日本遺産「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産」に認定されました。



天秤棒に夢をのせ、行商に励んだ近江商人発祥の地、東おうみ。
近江商人とは、近江を本宅・本店とし、他国へ行商した商人の総称で、近江八幡・日野・五個荘から特に多く輩出しました。近江商人は、そのほとんどが江戸時代末期から明治時代の創業で、現在も商社として多くの企業が活躍しています。


三方よし

近江商人の行商は、他国で商売をし、やがて開店することが本務であり、旅先の人々の信頼を得ることが何より大切でした。そのための心得として説かれたのが、売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」です。


取引は、当事者だけでなく、世間の為にもなるものでなければならないことを強調した「三方よし」の原典は、中村治兵衛宗岸の書置です。近江商人は遠く他国へ旅をして商売をしましたが、その土地で排斥されずに受け入れられ、むしろ歓迎されました。


しまつしてきばる

これは近江商人に共通な日常の心構えです。倹約につとめて無駄をはぶき、普段の生活の支出をできるだけ抑え、勤勉に働いて収入の増加をはかる生活を表現しています。


「しまつ」は、単なる節約ではなく、モノの効用を使い切ることが真にモノを生かすことになるのだということであり、「きばる」は、近江地方では「おきばりやす」という挨拶につかわれているくらい日頃から親しまれた言葉です。近江商人の天性を一言で表現しています。


正直・信用

今昔にかかわらず、商人にとって何よりも大切なものは信用です。信用のもととなるのは正直です。


外村与左衛門家の「心得書」でも、正直は人の道であり、若い時に早くこのことをわきまえた者が、人の道にかなって立身できると説いています。正直は、行商から出店開設へと長い年月をかけて地元に根づいて暖簾の信用を築き、店内においては相互の信頼と和合をはかるための基でした。


陰徳善事

人に知られないように善行を施すことです。陰徳はやがては世間に知られ、陽徳に転じるのですが、近江商人は社会貢献の一環として、治山治水、道路改修、貧民救済、寺社や学校教育への寄付を盛んに行いました。


文化12(1818)年、中井正治右衛門は瀬田の唐橋の一手架け替えを完成しました。一千両を要した工事の指揮監督に自らあたり、後の架け替え費用を利殖するために二千両を幕府に寄付しました。


近江商人の特色

八幡商人

活動開始時期 江戸時代前期

主な取扱い商品 蚊帳・畳表・麻布・数珠・灯心・蝋燭・扇子

商圏 三都(江戸・大阪・京都)、北海道、東北、関東、中部、中国、九州

特色

●元和年間(1615~24)最も早く江戸に出店

●「八幡の大店」大型店舗経営

●北海道交易(柳川・薩摩の商人と両浜組を組織)

●鎖国前は安南(ベトナム)やシャムなど海外へも進出


日野商人

活動開始時期 江戸時代中期

主な取扱い商品 日野腕・漆器・合薬・煙管・日野きれ(繊維)

商圏 関東地方に出店が集中、京都・大阪にかけて東海道沿線

特色

●「日野の千両店」小規模な出店の多さ

●三都などの大都市は避けて在方商圏とする

●商人仲間の組合「大当番仲間」を形成

●関東地方を中心に、酒や醤油など醸造業も盛んに経営


五個荘商人

活動開始時期 江戸時代後期

主な取扱い商品 呉服・太物・編笠・麻布(高宮布・野洲晒)

商圏 三都(江戸・大阪・京都)、関東、信濃、奥羽、畿内、九州

特色

●あくまで村方(在方)として存在し、農間余業として商業を行う

●江戸時代の開設は13店であり、明治以降に活躍

●明治以降に活躍した商人たちは、海外への視察・進出など進取の気性に富む


日野

日野商人

八幡商人にやや遅れて登場したのが日野商人です。琵琶湖岸から遠い日野にも、中世から日野市があり、蒲生氏の城下町として楽市令が布かれ、諸役免除の特典を与えられ、商工業が栄えました。蒲生氏郷の伊勢松坂や会津への領地替え以後も、蒲生氏と日野町民の関係は密接でしたが、寛永年間蒲生家の断絶により日野は一時活況を失いました。

しかしそのことが逆に奮起をうながし、地場産業の日野椀や売薬、帷子、小間物をもって全国へ行商することが盛んになりました。なかでも正野玄三の売り出した「万病感応丸」は携帯商品として大ヒットとなりました。いわば劣勢を逆用した日野商人の行商開始期は、江戸時代という社会が形を整えて回転し始めた時期であり、最初の繁栄期である元禄前後の地方の人々の生活向上の波に乗って商勢が伸展したのです。


日野商人は諸国商品流通の便益を提供するものとして幕府の公認するところとなりました。日野商人は元禄3年(1690)、幕府による売掛代金の回収保証と東海道・中山道における特約旅館制度を二本の柱とする、日野大当番仲間を日野町の全商人を集めて結成しました。そして主に東北・関東・東海道と、京阪の間を商圏としながら、行商と店舗開設による活動を広げていったのです。


とくに日野商人の店舗は、「日野の千両店」と呼ばれる、出先の商人との共同出資(乗合商内)のかたちをとった小規模であるが沢山の店舗をかまえ、それを前進基地としていくことに特徴がありました。



日野エリア

日野まちかど「感応館」へは、近江鉄道日野駅より、バス利用で西の宮下車すぐ 。

近江日野商人館

日野商人・山中兵右衛門の旧宅を資料館にしたもの。「八幡表に日野裏」の言葉どおり日野商人の屋敷は、表側は冨を誇示することなく厳格さとつつましい生活態度がよく現れています。館内には行商品や道中具、家訓などを展示。

料金/大人300円・小人120円、休館日/月・火曜日(祝日の場合は水曜日)、年末年始


日野まちかど感応館 (旧正野薬店)

日野椀に代わり日野商人の行商の主力商品となった合薬「万病感応丸」の創始者正野法眼玄三の薬店。店内には薬製造の道具などが展示されているほか、喫茶コーナーもあり、観光案内の拠点施設となっています。

休館日/月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始


近江日野商人ふるさと館 (旧山中正吉邸)

日野商人山中正吉家の本宅で、美しい庭園をそなえた数寄屋風書院造りの屋敷やモダンな洋間など見所がいっぱいです。座敷では日野の伝統料理をお召し上がりいただけます(予約制)。

入館料/300円、休館日/毎週月・火曜日(祝日の場合は水曜日)、年末年始



五個荘

湖東商人

五個荘、愛知川、能登川、高宮などの愛知川流域を中心とする地域から出た湖東商人は、江戸後期になって登場しました。この時期、諸藩は財源の拡大のため国産品奨励をはかり、専売政策を積極的に進めました。湖東地方では彦根藩の後援もあって、地場産業の麻布の生産が盛んになり、湖東商人達は特産の近江麻布を持ち下り商品として持参する全国行商を始めたのです。


繊維品を主に取り扱った湖東商人は、京坂や東海道で仕入れた呉服・綿関係品を関東・信州で売却し、関東・東北で仕入れた関東呉服・生糸・紅花類を名古屋・近江・京坂等で販売する産物廻しの商法に従事し、着実に畜富を重ねました。


そして、店舗を開設するほどの身代になっても、出身地が中山道沿いという地の利を生かして、近江の本家そのものも営業の一拠点として活用し、京都・大坂や江戸といった大都市に出店をかまえるのが通例でした。


その市場開拓の方法は、既成の大商店の商圏を避け、主街道よりも脇街道を主とし、農漁村の万屋的小売商人への委託販売をおこないました。このように湖東商人の営業活動は、藩の専売政策によって貨幣が浸透した農村の人々の需要を掘り起こすことになったのであり、現代の商社活動につながる要素を持っていました。

近江商人としては後発であった湖東商人の特徴は、商家の多くが近代企業に転身して今も老舗企業群として存続していることです。

明治維新以降は、営業の本拠を京都・大阪・東京に移して、多くの出店を国内はもとより海外にまで展開するようになり、総合商社「伊藤忠」・「丸紅」の祖である伊藤忠兵衛や、朝鮮半島・中国大陸に一大百貨店網を築いた「三中井」の中江勝治郎を生み出したのです。


五個荘エリア

金堂の町並みへは、JR能登川駅または近江鉄道八日市駅より、バスで約10分・ぷらざ三方よし下車徒歩5分。

金堂の町並み

一般公開されている近江商人屋敷3館(外村繁邸・外村宇兵衛邸・中江邸準五郎邸)を始めとする白壁と舟板塀の蔵屋敷が多く残る町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。映画やドラマの撮影が行われることも多く、時代劇のセットに迷い込んだかのような景色が拡がります。地区内には清らかな水が流れる堀割が縦横に走り、錦鯉が優雅に泳いでいます。

近江商人屋敷3館

料金/大人600円、小人300円
休館日/月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始


近江商人屋敷 藤井彦四郎邸

スキー毛糸の製造販売を行った豪商・藤井彦四郎の生家で、広大な敷地に、琵琶湖を模した池や築山を配した池泉廻遊式の大庭園をはじめ、主屋、客殿、洋館、土蔵などが並んでいます。館内には、かつて全国を行脚した五個荘商人が行商に用いた多くの資料も展示されています。

料金/大人300円、小人100円
休館日/月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始


近江商人博物館・中路融人記念館

江戸・明治時代、全国津々浦々に行商し、やがては豪商へと出世していった近江商人たち。その成功への軌跡を、映像やレプリカを使って分かりやすく紹介しています。2階の中路融人記念館では、日本画家・中路融人が描いた湖国の原風景を展示しています。

料金/大人300円、小人150円
休館日/月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日、年末年始


紅葉公園

近江商人の塚本仲右衛門が私財を投じ、自然の地形を生かして造園した公園で、その名の通り晩秋の紅葉は見事なもので、山全体が赤や黄色に染まります。



近江八幡

八幡商人

八幡商人は、近江商人の中でも早くから活躍しました。豊臣秀次の時代に建設された八幡山城下町には、織田信長の安土城下の商人や、近在の湖東の村々の人々が移住して八幡町民を構成しました。彼らは、中世の近江商人の本場である保内や五個荘(いずれも現、東近江市)の商人の流れを汲む人々でした。


この伝統ある商人の血をうけついでいることに加えて、信長や秀次が打ち出した楽市楽座や諸役免除などの先進的な商工政策と、交通の要衝に位置する八幡の地理的環境は城下の人々を大いに刺激しました。

八幡商人の中には朱印船貿易商として安南(ベトナム)へ渡航した西村太郎右衛門や、シャム(タイ)と交易してシャム染をもたらしたとの伝承のあるシャムロ屋勘兵衛があらわれ、江戸初期に八幡山城が廃城となって城下町でなくなった後も、他にさきがけて国内全域に雄飛する多数の商人を生み出したのです。


城下町江戸の建設時から、はやくも江戸の中心街である日本橋通には西川甚五郎・伴伝兵衛・伴庄右衛門・世継喜八郎などの八幡商人の大店が軒を連ね、そのほか京都・大坂をはじめ北海道から東北、関東、中部、中国、九州地方にいたるまで出店を開設し、八幡に本家を構えながらその足跡は全国におよびました。


八幡商人の特徴は、日本全国の城下町建設ブームに乗った商人にふさわしく、リスクを云々するよりも、チャンスに賭ける機敏で胆力のある商人であったこと、それに創業期こそ行商でしたが、やがて三都をはじめ比較的大きな都市に、数は少ないが大規模な店を構え、東西物産の交易にあたったことなどです。


近江八幡エリア

市立資料館へは、近江鉄道・JR近江八幡駅より、バスで約7分・小幡町資料館前下車徒歩1分。

市立資料館

郷土資料館、歴史民俗資料館、旧西川家住宅(国重要文化財)、旧伴家住宅(市指定文化財)の4館で構成。近江八幡の歴史や文化、そして近江商人の暮らしぶりなどを学ぶことが出来ます。また企画展も随時開催されています。


JR近江八幡駅の北西約2kmに歴史民俗資料館と隣接して立っています。近江商人の代表的な人物西村太郎右衛門(安南(あんなん)貿易で活躍した商人)の邸宅跡に建てられた元八幡警察署(ヴォーリズ建築)を、そのまま利用した資料館です。館内には、市内の考古・民俗・美術工芸・文書などが常時展示されており、年に数回、特別展も開かれます。

*西村太郎衛門について

慶長8年(1603年)に西村家2代目の次男として生まれました彼は、20歳の時に角倉了以の御朱印船で長崎から安南(ベトナム)へと旅立ちます。

異国の地で商いに取り組み25年(正保4年・1647年)、帰国のため長崎まで帰ってきますが、時は鎖国の世であり上陸は許されず、安南の地で没した悲劇の商人です。

彼が、長崎で故郷への思いを託し、絵師(菱川孫兵衛)に描かせ、日牟禮八幡宮へ奉納した絵馬「安南渡海船額」は国の重要文化財に指定されています。

太郎右衛門の兄は、異国の地で亡くなった彼を思い、屋敷内に供養塔を建立。その後、昭和5年の御大典に併せて造成された「八幡公園」に移されました。




白雲館(観光案内所)

明治10年に八幡東学校として建築された白雲館は、西洋建築の様式と日本の伝統技術をとり入れた貴重な建造物です。平成6年に復元され、現在は観光案内所やギャラリーとして利用され、お土産や特産品も展示販売されています。


八幡堀

八幡堀は天正13年(1585年)に豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き開町したことに始まります。秀次は、八幡堀と琵琶湖とを繋ぎ、湖上を往来する船を城下内に寄港させることで、人、物、情報を集め、さらに楽市楽座制を実施することで城下を大いに活気づけました。


新町通り

滋賀県で最初に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。かつての近江商人の本宅が立ち並んだ通りは見越しの松や白壁の土蔵など、落ち着いた風情と情緒を感じさせてくれます。この新町通りに面して近江八幡市立資料館があり、かつての近江商人の邸宅を見学することが出来ます。



水郷めぐり(近江八幡和船観光協同組合)

近江八幡という街は、関白豊臣秀吉が甥の豊臣秀次に命じて、廃城となった安土に変わり近江の国支配の中心地として八幡山城を築かせたことに始まり、秀次が琵琶湖を行き来する全ての船を城の内堀ともいうべき八幡堀に引き入れることで近江国の経済の中心地となり、後の近江商人発祥につながったといえます。


さて、近江八幡水郷めぐりですが、秀次は、戦塵の垢をおとすべく雅な宮中の舟遊びに似せて、豊年橋から広がる水郷地帯へと近従と共に船めぐりをしたと伝えられており、これが今に伝わる近江八幡水郷めぐりの発祥です。

近江八幡水郷めぐりは、舟を船頭が櫓と竿で巧みに操りながら、自然の作り出す別世界である「よしの群生地帯を見て」「櫓の音、鳥の鳴き声を聞き」「水やよしの葉のにおいを感じ」「手こぎ舟の揺れを肌で感じ」残された自然を味わうことが出来ます。

特に、舟の上での名物の近江牛のすき焼きは季節を問わず味わえます。
豊年橋発着の近江八幡水郷めぐりは、司馬遼太郎の「街道をゆく」にも登場しています。



交通アクセス




編集後記

本号の編集作業において、近江商人の「朝は朝星 夜は夜星(あさはあさぼし よはよぼし)」を一度体験してみようと、チャレンジしてみましたが、骨身に沁みて小生には二度と出来るものではない事がはっきりとわかりました。

当時近江商人は、飛行機、新幹線、自動車など現代では当たり前の乗り物も無く、毎日毎日徒歩で東北・北海道まで、天秤棒一丁に命を懸けたんですね。さらには売っただけでは飽き足らず(失礼)、他国の行商人たちは完売して喜び勇んで帰国したそうですが、近江商人は売ったお金で現地の特産品を仕入れ、持ち帰り商いにしたそうですよ…

ノコギリ商法というとか、(外国とは逆で、日本のノコギリは引くときに切れる)
昔の人は上手く名付けたものです。


五個荘出身の伊藤忠兵衛氏は、長崎まで出かけ苦労して長浜産の蚊帳を商ったとか・・・
大八車?きっと船で運んだのでしょうか。


そんな土地柄、当然、滋賀県内での商いは厳しい。
「真剣」位では、相手にもしてもらえず、値段を引かなくては買ってくれないと思い、つい安易な方法に頼り値引きをする。ところが、値段を引いた途端さらに買ってくれなくなるどころか相手にもしてくれなくなり、口もきいてくれない⁉

それじゃあ一体どうしろと?「ど真剣」と「信用」なんだと思います・・・

50年程前にお守り代わりに購入した木札「近江商人の証」を恨めしそうにながめながら
一番烏よろしく「カア~」と一鳴してみました。



鎹八咫烏  記
伊勢「斎宮」明和町観光大使



協力(順不同・敬称略)

近江商人ゆかりの町連絡会

一般社団法人 近江八幡観光物産協会
〒523-0864 滋賀県近江八幡市為心町元9 (白雲館内)TEL.0748-32-7003 

東近江市観光協会 滋賀県東近江市八日市緑町25番4号(東近江市役所 東庁舎)
電話 0748-29-3920

日野観光協会 〒529-1604 滋賀県蒲生郡日野町村井1284番地(日野まちかど感応館内)
TEL:0748-52-6577

近江鉄道(株)鉄道部運輸課 〒522-0007 滋賀県彦根市古沢町181
TEL.0749-22-3303

公益社団法人  びわこビジターズビューロー
〒520-0806 滋賀県大津市打出浜2番1号「コラボしが21」6階 TEL:077-511-1530


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当サイト ZIPANG TOKIO 2020 は2016年のリオ ・オリンピック・パラリンピック開催と同時に立ち上げ、この間、原則日刊体制でこれ迄2300件余りの記事をお届けして参りました。

引き続き、編集長こと鎹八咫烏は㊙得意技の、時空を自在に飛び回リ(はっきり言えば支離滅裂) ながら、全国のあらゆるジャンルで隠れたお宝探しを続けて参ります。

今後ともどうか宜しくお願い申し上げます。


鎹八咫烏 記

伊勢「斎宮」の明和町観光大使

石川県 いしかわ観光特使    


ZIPANG-3 TOKIO 2020

2020年東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、神社仏閣、祭礼、伝統芸能、風習、匠の技の美、世界遺産、日本遺産、国宝等サイトを通じて平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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