はじめに 記事をお届けするに当たり、この度の山形沖を震源地とする、地震災害で被災された方々、並びに前年の北海道・関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
龍良山 聖地・八丁角
龍良山を守ってきた天道信仰のひとつ「裏八丁郭」
【対馬の伝承・異伝】
7世紀後半、内院(ないいん。厳原町)に高貴な女性が虚船(うつろぶ
ね)に乗って漂着し、太陽に感精して子を産みました。「太陽の子」は天
道法師と呼ばれ、嵐をまとって空を飛び、天皇の病気を治すなどの奇跡を
おこします。
豆酘(つつ)の北東に広がる龍良山(たてらさん)中の八丁角(はっち
ょうかく。北と南の2ヶ所にある石積み)は、天道法師とその母の墓所と
され、多久頭魂神社境内の不入坪(イラヌツボ)とあわせて「オソロシド
コロ」と呼ばれ、龍良山という聖域の結界を構成しています。
対馬固有とされる天道信仰は、天道法師という超人と霊山・龍良山を中
心に、太陽信仰・母子神信仰・修験道・古神道などの要素が複雑に絡み合
い、平安時代ころに成立したと考えられています。
多久頭魂(たくずだま)神社境内にある神住居(かみずまい)神社
多久頭魂(たくずだま)神社(番号21)の現在の祭神は天神・天孫系
ですが、古くは龍良山を御神体として社殿はなく、対馬固有のタクズダマ
(多久頭魂)を祭り、神仏習合時代にはタクズダマ=天道法師とされてい
ました。天道信仰の南の中心部・豆酘には高御魂(たかみむすび)神社
(番号22)が、北の中心部・上県町佐護には神御魂(かみむすび)神社
(番号9 5)があり、多久頭魂神は、両社にまつられたタカミムスビとカ
ミムスビの子神とされています。
対馬 豆酘崎(つつざき)
豆酘は対馬の南端に位置し、陸路による他地域との交流が少ない反面、
航路の拠点として国内外の文化が流入する地域であり、亀卜や天道信仰、
赤米神事など独自の文化・歴史が形成されてきましたが、近年は過疎・高
齢化のため、伝承の存続が危ぶまれています。
龍良山 シンボルツリー スタジイ
なお、龍良山はその強烈なタブーにより、標高120mの低域から山頂
558mまで良好な照葉樹原始林(スダジイ・イスノキ・アカガシなど)が
残り、国の天然記念物に指定されています。龍良山に入ると、「森の神」
が生きていた縄文時代の森の雰囲気を感じることができます。
【寄稿文】 西 護
一般社団法人 対馬観光物産協会 事務局長
協力(順不同・敬称略)
一般社団法人 対馬観光物産協会 〒817-0021 長崎県対馬市厳原町今屋敷672番地1
観光情報館ふれあい処つしまTEL 0920-52-1566
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