ZIPANG-3 TOKIO 2020 「 世界遺産 熊野古道のまち『紀北町』伊勢路を行く」

はじめに 記事をお届けするに当たり、この度の九州豪雨と山形沖の地震災害、並びに近年の北海道・関西地方、並びに中国四国・九州地方他、多くの大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。


清き水にしか住むことの出来ない、山椒魚のような形をした紀北町のリアス式海岸が広がる


紀北町の歴史


吉野熊野国立公園「大杉谷渓谷」 涼しそうですね~今日は今年一番の暑さでした


紀北町は日本でも有数の多雨地帯の中にあるため、見事な森林を育成させ、夏は涼しく冬は温暖の地です。伊勢志摩、吉野熊野国立公園の中間に位置し歴史と伝統を誇る町です。古く歴史を遡れば、当地方は志摩国に属していましたが、そのあと全町が伊勢神宮の御領地となっていました。

南北朝時代には、南朝に味方する勤皇家も多かったのですが、やがてその勢力も衰微し、戦国時代の天正10年(1582)、新宮の堀内氏善の北進によって、当地方一帯は紀伊の国になりました。関ヶ原合戦のあと、紀伊藩主浅野氏が領主となり、元和五年(1619)に徳川頼宣が入国して、徳川御三家と称されました。 今の紀伊長島地区は藩政時代に入ると長島浦は島勝、白、三浦、海野、道瀬、錦の六浦と二郷村、赤羽郷五箇村の七浦六村で長島組を形成しました。

きほくの朝市「きいながしま港市」
新鮮な魚介類をはじめ、寿司、みかん、練り製品など地元特産品が勢ぞろいする朝市。
他の地域から来場する多くの買い物客でにぎわう。

開催日時:毎月第2土曜日 9時から12時まで
開催場所:長島港魚市場


特に長島浦は熊野灘を代表する海産物、林産物の集散地、積み出し港としてにぎわいを見せていましたが、明治22年(1889)町村制の実施にともない長島組のうち、長島浦は長島村、二郷村はそのまま二郷村、十須村・大原村・島原村は合併して赤羽村、海野浦・道瀬浦・三浦は合併して三野瀬村となりました。また、長島村は、明治32年に町制を施行しました。

昭和25年、長島町と二郷村は、当時としては全国的にもまれであった自主合併を行い、さらに昭和30年に三野瀬村、赤羽村との合併により本町の姿となりました。昭和45年には町名を長島町から旧紀伊長島町に改称しました。 


海山地区では明治4年(1871)には度会県に含まれましたが、同9年(1876)に三重県に編入され、明治22年(1889)には、町村改編により、旧 14か村を3か村(船津村・相賀村・引本村)に統合し、明治30年(1897)5月、引本村のうち須賀利浦は分村して須賀利村となり、島勝浦も・白浦も引本村から分かれ、島勝浦・白浦を合わせて桂城村が新設されました。


明治32年(1899)3月引本村が町制を施行して引本町となり、昭和3年(1928)11月には、相賀村が町制を施行して相賀町になりました。昭和29年8月1日、引本町・相賀町・船津村・桂城村の4か町村が合併して旧海山町が誕生しました。 平成17年10月11日に旧紀伊長島町と旧海山町は合併し、人口20,831人面積257,01平方キロメートルの新しい町「紀北町」が誕生しました。


旧海山町と旧紀伊長島町は、前面(東)に黒潮躍る熊野灘、背後(西)には日本有数の原生林が残る大台山系と豊かな自然に囲まれ、古くからその恵を生かし、水産業・林業などの産業を中心としてほとんど同じように発展してきました。


気候、風土、産業、文化、生活様式など多くの面で地理的、歴史的に結びついてきた地域であり、住民間の交流も活発に行われ、日常生活圏においても一体の地域を形成してきました。以前から北牟婁郡を形成し、今回の平成の大合併により再び一つになって歩み始め、紀北町として地域の自立と将来の総合的な発展をめざしています。


世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」

紀伊山地は本州最南端、太平洋に張り出す紀伊半島に位置し、標高1,000m~2,000m級の山脈が縦横に走り、年間3,000mmを超える豊かな降水量が深い森林をはぐくむ山岳地帯です。

熊野古道伏拝王子から大斎原を望む 

紀伊山地は太古の昔から自然信仰の精神を育んだ地で、6世紀に仏教が伝来した以降、紀伊山地は真言密教をはじめとする山岳修行の場となりました。中でも、山岳修行により超自然的能力を獲得することを目的として10世紀中ごろから11世紀代に成立した修験道は、特に大峰山系の山岳地帯を中心的な修行の場としていました。また、9~10世紀に広く流布した「神仏習合」思想(日本古来の神々は仏教の諸尊が姿を変えて現れたものとする日本固有の思想)の聖地としても信仰を集めていました。


さらに、10~11世紀頃の日本では「末法思想」(仏法が衰え世も末になるという思想)が流行し、死後に阿弥陀仏の居所である極楽浄土に往生することを願う「浄土宗」という仏教の教えが貴族や庶民の間に広まりました。これに伴って、都の南方に広がる紀伊山地には仏教諸尊の浄土があると信じられるようになり、この地の霊場としての性質がいっそう強まりました。この地方の神聖性がことさら重要視されるようになった背景には、深い山々が南の海に迫るという独特の地形や、両者が織り成す対照的な景観構成などが大きく影響していたものと考えられています。

このような特有の地形及び気候、植生などの自然環境に根ざして育まれた多様な信仰の形態を背景として、「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」と呼ばれる顕著な三つの霊場とそれらを結ぶ「参詣道」が形成されました。


参詣道(さんけいみち)


大峯奥駈道を行く修験者…如何にも険しそうな身も引き締まる孤独の道ですね

大峯山寺

熊野古道 途中に出会う石仏が道行く人々の気持ちをほっとさせてくれる

夕暮れ時、熊野古道の峠から眺める熊野本宮大社。陽が落ちる前に到着・・・あと一息!

熊野大社証誠殿(神門より)

熊野速玉大社本殿 

熊野速玉大社 上倉神社

那智大社鳥居本殿 

熊野那智大社別宮飛瀧神社

那智山 青岸渡寺 三重塔と滝

那智山 青岸渡寺本殿(正面 ファサード)

高野山金剛峰寺奥の院

弘法大師「空海」が生前に自ら入定の場所と定めた地です。
転軸・摩尼・楊柳の三山に囲まれた広大な集合墓地が営まれている地区であり、「弘法大師」空海が今も生きていると信じられている聖地であります。 

高野山 町石道

町石道は、高野山奥院御廟への参詣道のうち、空海が切り開き、その後も最もよく使われた主要道である。沿道には、金剛峯寺の中心である壇上伽藍からの距離を刻んだ町石(石製道標)が一町(約109m)及び一里(三十六町・約4km)ごとに建てられています。

町石は、元々、木製の卒塔婆が建てられていましたが、1285年に花闘岩の四角柱頂部に五輪塔形を彫出した形の町石の設置が完成しました。合計220基あった町石のうち7基が部分的に併行する国道480号に移された以外の町石は旧状が良好に保たれており、一町ごとに礼拝を重ねながら山上を目指した参詣の様子を今に伝えています。

高野参詣道 女人道

女性たちは、1872年に解禁されるまで高野山境内に立入ることが許されていなかった。そのため、女性たちは江戸時代後期までに確定されていた高野山境内の外周に設けられた各女人堂を巡り、山内を拝したことから、女人堂巡りの道が成立しました。なお、女人道は女人堂巡りの道に加えて、高野山境内の外周にあたる奥院背後の高野三山の頂上に祀られる菩薩像の巡拝道を含みます。

 


三霊場に対する信仰が盛んになるにつれて形成され、整備された「大峯奥駈道」、「熊野参詣道」、「高野参詣道」と呼ばれる三つの道です。これらの道は、人々が下界から神仏の宿る浄域に近づくための修行の場であり、険しく清浄な自然環境のなかに今日まで良好な状態で遺り、沿道の山岳・森林と一体となった文化的景観を形成しています。


「大峯奥駈道」は、「吉野・大峯」と「熊野三山」の二大霊場を結ぶ山岳道で、修験道の最も重要な修行の場です。「熊野参詣道」は、「熊野三山」に参詣する道で、京都方面からの参詣のために最も頻繁に使われた「中辺路」、「高野山」との間を結ぶ「小辺路」、紀伊半島の南部の海沿いを行く「大辺路」、同じく南西部の海沿いを行く「紀伊路」、伊勢神宮との間を結ぶ「伊勢路」からなっています。「高野参詣道」は、金剛峯寺北側の紀ノ川から高野山に至る経路、霊場高野山を囲繞する経路などからなる参詣道です。


<構成資産>

大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)<玉置神社(たまきじんじゃ)を含む>、熊野参詣道(くまのさんけいみち)≪中辺路(なかへち)<熊野川(くまのがわ)を含む>・小辺路(こへち)・大辺路(おおへち)・伊勢路(いせじ)<七里御浜(しちりみはま)、花の窟(はなのいわや)を含む>≫、高野参詣道(こうやさんけいみち)


これまで三年に渡り世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」をご紹介してまいりましたが、本号では参詣道最後の路「伊勢路(いせじ)」をご紹介いたします。


伊勢路(いせじ)


伊勢神宮宇治橋の賑わい

伊勢神宮正宮は正殿を中心に.!

三重県の伊勢神宮から熊野三山へ通じる総延長約170kmの参詣道。近世、伊勢参宮のあとに西国巡礼の人がよく利用しました。

紀北町は伊勢(田丸)から熊野三山へ向かう道中にあり、「馬越峠」「始神峠」「三浦峠」「荷坂峠」「ツヅラト峠」の5カ所を歩くことができます。
伊勢を出発して、ひらすら山の中を歩いてたどり着いた紀北町で、初めて海が臨める景色が目に入ると、疲れも吹き飛ぶ真青な空と岬と入り江が複雑に入り組み観る人を楽しませてくれるリアス式海岸の緑と青の景色が目の前に広がります。

所々に浮かぶ筏は、紀北町の人々が古くから海洋と関わってきたことを教えてくれているようです。


熊野古道 紀北町「伊勢路(いせじ)」へご案内いたします。

紀伊の国の玄関口である紀北町の5つの峠と魅力溢れる景色が、きっとあなたを癒し魅了することでしょう。
歴史の道を踏みしめながら、熊野灘の雄大な眺めに代表される自然美と、そこに暮らす人情豊かな人々との交流も楽しみの一つです。


ツヅラト峠


伊勢路「ツヅラト峠」心地の良い木漏れ日を感じながらすすむ

かつて伊勢国と紀伊国の境であった峠。伊勢から熊野へ向かう旅の途中、はじめて熊野灘を望むことができる場所。ツヅラトとはカーブが連続する九十九折りのこと。石垣もよく保存されています。

オススメ

紀北町のまちが望める絶景ポイント

距離

約9キロメートル(JR梅ケ谷駅から紀伊長島駅)

時間

約4時間


荷坂峠


紀州への玄関は長らくツヅラト峠であったが、江戸時代初期に紀州徳川家の藩祖・頼宣公が入国して以来、東よりの荷坂峠越えが正式ルートになった。梅ヶ谷から峠までは国道沿いを通るが、町境を越えてからは下り坂の多いコースであります。途中にある沖見平からの眺めは素晴らしく、ツヅラト峠と同様、紀伊の海が下方に広がっています。
春に咲くオンツヅジの花も美しい。

オススメ

春のオンツツジをはじめとして季節ごとに楽しめる花々

距離

約8キロメートル(JR梅ケ谷駅から紀伊長島駅)

時間

約2時間30分


三浦峠(熊ヶ谷道)


三浦峠に至るひのき林が美しい一石峠の登り口には旅の安全を祈るがごとく温和な顔の無縁地蔵が佇んでいます。林道を下ると優美な海岸線を誇る古里海岸に出る。険しい山道の多い熊野古道の中で、この区間は旅人の心を癒してくれる平坦な海沿いの道であります。
古里トンネルを迂回する佐甫道ルートでは、洋々たる熊野灘の眺めも素晴らしい。

オススメ

ひのきの美林と紀伊の松島

距離

約8キロメートル(加田協会前バス停からJR三野瀬駅)

時間

約3時間


始神峠


峠の名前の由来はサンショウウオを意味する「椒」(はじかみ)。
ということは、始神峠のふもとにある宮谷池にサンショウウオがいたということでしょうか?とても静かな場所です。

始神峠(はじかみとうげ)は、さくらの名所として知られている始神さくら広場の横を通って上っていく江戸時代に出来た道と、明治時代に造られた道の二つの登り口があるが、頂上で合流しています。頂上からは紀伊の松島の絶景が見渡せ、特に洋上に昇る日の出は素晴らしい。きっと貴方は芭蕉翁になったつもりで一句「松島や 紀伊松島や 松島や」⁉・・・

オススメ

頂上からの紀伊の松島と、ふもとに咲き誇る約200本の桜

距離

約5キロメートル(JR三野瀬駅から船津駅)

時間

約2時間30分


馬越峠


馬越峠(まごせとうげ)は紀北町と尾鷲市の境界にある峠で天狗倉山(てんぐらさん)と便石山(びんしやま)の間に位置します。峠越えの古道は桧の美林とシダに囲まれて約2キロメートルにわたり石畳が良好に保存されており、在りし日の様子が偲ばれます。

馬越峠から天狗倉山の山頂へと向かえば、熊野灘の絶景が見渡せます。
山頂付近の巨岩は象の背中のように大きいことから、『象の背』と呼ばれ、銚子川や熊野灘が一望できます。

オススメ

ひのきの美林と苔むした石畳

距離

約5キロメートル(道の駅海山からJR尾鷲駅)

時間

約2時間30分


夜泣き地蔵


馬越峠にある夜泣き地蔵は、元々は旅人の安全祈願の地蔵だったがいつの頃からか、参ると子どもの夜泣きがおさまる夜泣き封じ効果があると言われ夜泣き地蔵と呼ばれるようになりました。



交通アクセス





編集後記

松阪~紀伊長島・海山(現:紀北町)~尾鷲~矢ノ川峠(やのことうげ)~新宮にかけての国道42号線には、60年以上に及び(初めてこの道を車で通った時はまだ舗装のしていない地道でした。)大変に想い出の深い出来事が語り尽くせないほどあります・・・(失敗談⁉)
本号でその出来事をご紹介しようと思っておりましたら、思いのほか記事に時間がかかり、また、いつの日かご披露できればと存じます。

伊勢路でお待ちいたしております。是非、お出かけください。
その折には松阪から「斎宮」の明和町は目と鼻の先にありますので、お立ち寄りください。



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使



協力(順不同・敬称略)

紀北町役場 商工観光課
〒519-3292 三重県北牟婁郡紀北町東長島769番地1 電話番号:0597-46-3115

紀北町観光協会 〒519-3204 三重県北牟婁郡紀北町東長島2410-73 TEL:0597-46-3555

神宮司庁 〒516-0023 三重県伊勢市宇治館町1電話: 0596-24-1111

伊勢志摩観光コンベンション機構 〒519-0609 三重県伊勢市二見町茶屋二見町茶屋111-1
伊勢市二見生涯学習センター 電話: 0596-44-0800

熊野本宮大社 〒647-1731 和歌山県田辺市本宮町本宮1110 電話: 0735-42-0009

熊野本宮観光協会〒647-1731 和歌山県田辺市本宮町本宮100-1<世界遺産熊野本宮館内>TEL:0735-42-0735

熊野速玉神社 〒647-0081 和歌山県新宮市新宮1番地 電話: 0735-22-2533

新宮市役所 〒647-8555 和歌山県新宮市春日1番1号 電話 0735-23-3333

熊野那智大社 〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字那智山1電話: 0735-55-0321

那智山 青岸渡寺
〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字那智山8 電話: 0735-55-0401

高野山真言宗 総本山金剛峯寺
〒648-0294 和歌山県伊都郡高野町高野山132 TEL : 0736-56-2011(代)

一般社団法人 高野山宿坊協会 TEL : 0576-56-2616

公益社団法人 和歌山県観光連盟
〒640-8585 和歌山県和歌山市小松原通1-1 和歌山県庁観光振興課内 TEL: 073-422-4631

熊野三山協議会 〒647-8555 和歌山県新宮市春日1-1 新宮市役所商工観光課内
TEL: 0735-23-3333

文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111

環境省 〒100-8975 東京都千代田区霞が関1-2-2 中央合同庁舎5号館 TEL 03-3581-3351



※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。

 





ZIPANG-3 TOKIO 2020

2020年東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、神社仏閣、祭礼、伝統芸能、風習、匠の技の美、世界遺産、日本遺産、国宝等サイトを通じて平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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