はじめに 記事をお届けするに当たり、この度の九州豪雨と山形沖の地震災害、並びに近年の北海道・関西地方、並びに中国四国・九州地方他、多くの大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
丸山千枚田 棚田景観は日本一とも称されています
丸山千枚田
熊野市駅から車で約30分
日本の棚田百選に選ばれた「丸山千枚田」は、1,340枚の規模を誇る日本有数の棚田であり、その棚田景観は日本一とも称されています。約400年前には2,240枚の田畑があったという記録が残されていますが、平成初期には後継者不足により530枚にまで減少していました。平成6年に「丸山千枚田条例」の制定、そして地元住民らの協力により復田作業が行われ、現在は1,340枚の規模が維持保存されています。
復田された田を利用して、丸山千枚田オーナー制度が実施されており、毎年100組を超えるオーナーが登録しています。年間を通して稲作体験が行われ、都市住民との交流と棚田保全活動が行われます。
瀞峡
秘境!!瀞峡をウォータージェットクルーズ
瀞峡はまさに自然が造り上げた壮大な芸術。ウォータージェット船でめぐる約1時間の秘境の旅は、昭和40年代から人々を魅了し続けています。自然の風と水しぶきが気持ちよく、春には新緑、秋には紅葉、、、と四季折々の景観をご堪能できます。
世界遺産 七里御浜(しちりみはま)
熊野市から紀宝町に22km続く日本で一番長い砂礫海岸「七里御浜」は、「世界遺産(浜街道)」「日本の渚百選」「21世紀に残したい日本の自然百選」「日本の白砂青松百選」「日本の名松百選」に選ばれた美しい海岸地域です。
その昔、熊野詣をする人々にとっては、「浜街道」として、西国三十三所を目指す巡礼者が多く歩いたことから「巡礼道」とも呼ばれ、信仰の道としての役割を果たしていました。
海岸には、熊野川を経て辿り着いた様々な種類の石を見ることができます。また、春から夏にかけてアカウミガメが上陸する地としても知られています。
熊野市とは
熊野市は、三重県南部にある人口約2万人の市です。南東を海、北西を山に囲まれた自然豊かな所で、世界遺産に登録された熊野古道をはじめ、海と山それぞれに絶景を望める場所が数多くあります。
農業では、温暖な気候に育まれた柑橘類の栽培が盛んで、香酸かんきつ「新姫(にいひめ)」は熊野市の特産品として数多くの商品が販売されています。
砿業では、日本で唯一の「那智黒石」の産地として知られており、碁石や工芸品に加工され、その美しさは高い評価を得ています。
世界遺産「熊野古道」「鬼ヶ城」「獅子巖」「花の窟」をはじめ、日本の棚田百選に選ばれた「丸山千枚田」など歴史と文化、そして大自然に育まれたまちです。
熊野市の歴史・文化
平成16年に登録された世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」
令和元年は登録15周年になり各地において記念のイベントが数多く執り行われています。
■世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」
熊野市には、「鬼ヶ城」「獅子巖」「花の窟」「七里御浜」など、世界遺産に数えられる多くの名勝・史跡があります。
また、熊野古道伊勢路に位置する熊野市には、松本峠や大吹峠をはじめとした熊野古道を歩きに来る「古道歩き」の方たちが多く訪れており、古来より残る石畳の路や石仏などの景観に心癒されます。
よみがえりの道 熊野古道伊勢路を是非体感しに来てください。
熊野古道とは
和歌山県南部の熊野三山への参詣路。
紀伊山地をたどる遠隔参詣路で、その道筋はさまざま。熊野街道とも言います。
京から難波(なにわ)を経て海岸沿いに田辺へ、田辺から山間を本宮に至るが紀伊路で、途中遥拝(ようはい)休憩路は田辺から山間をたどる中辺路(なかへち)に分かれます。
伊勢を回る伊勢路、十津川路、北山路、高野山を経る高野路、大峰山中をたどる修験の峰入路などがあります。
2004年(平成16年)「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
歴 史
熊野周辺は、日本書紀にも登場する自然崇拝の地でした。
907年の宇多法皇の熊野行幸が最初と言われています。熊野三山への参詣が頻繁に行われるようになったきっかけは、1090年の白河上皇の熊野行幸からと言われています。白河上皇はその後あわせて9回の熊野行幸を行いました。これにより京都の貴族の間に熊野詣が行われるようになりました。その後、後白河上皇も33回の熊野行幸を行っています。
江戸時代に入ると、伊勢詣と並び、熊野詣は、広く庶民が行うようになったと言われています。一時は、熊野付近の旅籠に一日で800人の宿泊が記録されたこともあったようです。
明治維新後、神仏分離令により熊野古道周辺の神社の数は激減します。熊野詣の風習も殆どなくなってしまいました。熊野古道自体は、大正から昭和にかけて国道が整備されるまで、周囲の生活道路として使用されつづけられました。
伊勢路 ~伊勢神宮から熊野三山への参詣道~ (世界遺産)
伊勢路は、三重県の伊勢神宮から和歌山県南部の熊野三山(本宮大社・那智大社・速玉大社)へと通じる参詣道です。
熊野市内には、多くの参詣道があり、市内で本宮大社へ向かう本宮道と、浜街道を通り速玉大社へ向かう道に分かれています。
熊野市内の熊野古道一覧
【1】曽根次郎坂/太郎坂
【2】二木島峠/逢神坂峠
【3】波田須の道
【4】大吹峠道
【5】観音道
【6】松本峠道
【7】風伝峠道
【8】通り峠道と丸山千枚田
【 9 】浜街道(北)
【1】曽根次郎坂・太郎坂(そねじろうざか・たろうざか)
尾鷲と熊野の市境をなす甫母峠は、曽根次郎坂・太郎坂とも呼ばれています。
その昔、ここが紀伊と志摩の国境であったことに由来し、自領他領がなまったものといわれています。
曽根(尾鷲市)から二木島に至るこのルートは、JR曽根トンネルとほぼ同じコースを通っており、峠からは甫母へ下る道も通じています。街道は直進し、トンネル横にある二木島の登リ口へ出ます。
甫母峠には昔「ほうじ茶屋」があり、今もその跡が残っています。
■距離:約5km
■歩行時間:2時間30分(目安です。人によって変わります)
■最寄り駅:JR賀田駅(伊勢側)、JR二木島駅(熊野側)
【2】二木島峠・逢神坂峠(にぎしまとうげ・おうかみざかとうげ)
熊野市の二木島と新鹿(あたしか)を結ぶのが、二木島峠と逢神坂峠で、コースのほぼ直下をJR逢神坂トンネルが貫いています。杉と桧の山林を縫うように、ほぼ全区間に端正な石畳道が通じており、適度なアップダウンで爽快なハイキングが楽しめます。
逢神とは伊勢の神とと熊野の神が出会う場所という意味で、かつては狼が出没したことによるとの説もあります。
■距離:約5.5km
■歩行時間:2時間30分(目安です。人によって変わります)
■最寄り駅:JR二木島駅(伊勢側)、JR新鹿駅(熊野側)
【3】波田須の道(はだすのみち)
波田須は不老不死の仙薬を求めて中国からやってきた徐福が上陸したと伝わる里。ここには距離はわずかですが、鎌倉期のものと思われる巨石の石畳が残っています。
また、弘法大師伝説にまつわる史跡などもあり、三重県指定の「母と子の自然と歴史の散歩道」に指定されています。
徐福神社のある波田須町の集落。今から2200年以上前、徐福が上陸したと伝わる里。
海の深さもあり、ここなら船をつけ上陸できそうですね…
集落には、里の人たちが大切に護る徐福神社がひっそりと佇む・・・
徐福神社境内に建つ
祭壇が弁柄塗になっています。
こちらの祭壇は白木です・・・
徐福之墓
かって、不老不死の妙薬と言われた、薬草フロフキ(カンアオイ)のことはよく知られていますが、集落で見つけたこの植物は徐福が日本で探し求めた植物でしょうか⁉・・・
徐福神社の解説では・・・
徐福伝説
秦の始皇帝の命により、徐福は蓬莱山にあるといわれる不老不死の妙薬を求めて数十隻に及ぶ船団を組み、東方へ向かって船出した。途中台風に遭い、徐福の船だけがこの地、矢賀の里に流れ着いた。当時そこには3軒の家しかなく、与八・文吉・三郎兵衛が交代で世話をした。帰国を断念した徐福は紀州への永住を決意し、やがて窯を設け焼物を3人に教えたという。今の残る窯所、窯屋敷という地名はこのことを伝えている。この地、徐福は土木、農耕、捕鯨、医薬などの中国文明を里人に教えたと言われている。このことからこの地は秦住(はたす)と呼ばれ、後に波田須という地名になったという。
徐福の宮
ここ丸山は矢賀の蓬莱山と呼ばれている。徐福の墓の石碑は稲荷神社と合祀されているこの小祠の後にある。御神宝は直径20cm余りの小さな擂鉢である。また、不老不死の薬こそ当地に自生する天台烏草だとされている。
天台烏草【くすのき科】
●暖地にはえる高さ3mになる常緑樹
●早春、淡黄色の小花を密生させる。
●根は長い塊状の暗褐色で薬用にする。
補足
波田須町は、徐福の渡来伝承の残る全国20か所以上の中でも有力とされています。またこの地域には徐福が探し求めていた不老不死の仙薬とされるアシタバや天台鳥薬の木が茂っています。徐福の宮の参道修復中に数枚の古銭が発掘され、2002年に中国の学者が鑑定したところ、中国秦の時代の古貨幣「半両銭」と判りました。「半両銭」の出土は国内でも大変珍しく貴重なものです。
■距離:約4km
■歩行時間:1時間30分(目安です。人によって変わります)
■最寄り駅:JR新鹿駅(伊勢側)、JR波田須駅(熊野側)
【4】大吹峠(おおぶきとうげ)
桧や熊野古道杉林を通るルートが大半の熊野古道には珍しく、大吹峠には風情のある竹林が広がっていましたが、現在は竹林の間伐のため以前のような竹林の中をくぐり抜けて行く感じが無くなっています。
この峠には昭和25年頃まで大吹茶屋があったといわれています。交通の要だったところであることがわかるほど石畳が残っている峠道です。
熊野古道は、檜林や杉林がひろがる
かっての竹林の中を抜けていくような感じはなくなっている。いつの日か復活・・・
交通の要として見事な石畳が敷かれています
■距離:約3.5km
■歩行時間:2時間30分(目安です。人によって変わります)
■最寄り駅:JR波田須駅(伊勢側)、JR大泊駅(熊野側)
【5】熊野古道・・・観音道(かんのんどう)
美しい石畳 石仏が多く残る観音道
大泊から波田須への信仰の道。山道を1kmほど登ると比音山清水寺跡(通称泊観音)があります。急勾配であるが参道脇の石仏になぐさめられます。
全国に観音信仰が普及した江戸時代、泊観音の近在にも観音講が生まれ、多くの信者により西国三十三所の石仏が寄進されました。道中あちこちに立つ石仏は往時の賑わいを偲ばせます。
清水寺は大同4年(809)に坂上田村麻呂により建設され、鬼退治の伝説が残っています。
■距離:約3.8km
■歩行時間:2時間30分(目安です。人によって変わります)
■最寄り駅:JR大泊駅
熊野市への交通アクセスは次号にてご紹介いたします。
熊野古道 ロマンの「伊勢路(熊野市編-2)」に続く・・・
台風にご注意ください!
熊野市、尾鷲市、紀北町、明和町、新宮市はじめ南紀の皆さんくれぐれも台風・大雨にお気をつけください。愛知県も先ほどから次第に風雨が強くなってまいりました。
本日は、このあたりにて、続きは明日掲載いたします・・・
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(敬称略)
熊野市観光協会〒519-4324三重県熊野市井戸町653-12 電話/FAX:0597-89-0100
熊野三山協議会 〒647-8555 和歌山県新宮市春日1-1 新宮市役所商工観光課内
TEL: 0735-23-3333
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