ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~ 八幡総本宮 【宇佐神宮】~「2月24日 天皇陛下御即位30年奉祝奉告祭を上宮にて 斎行致します。」

はじめに 記事をお届けするに当たり、先の北海道における地震災害、関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。


宇佐神宮は全国に4万社あまりある八幡様の総本宮です。 八幡大神(応神天皇)・比売大神・神功皇后をご祭神にお祀りし、 神亀2年に創建されました。 皇室も伊勢の神宮につぐ第二の宗廟(そうびょう)として御崇敬になり、一般の人々にも鎮守の神として古来より広く親しまれてきました。


上宮 本殿(国宝)

八幡総本宮 宇佐神宮からのご案内

2/24(日)午前10時より天皇陛下御即位30年奉祝奉告祭を上宮にて斎行致します。祭典終了後は御参拝の皆様に撤下品(御下がり)をお頒ち致します。(先着500名様とさせて頂きます)


上宮 本殿(国宝)

宇佐神宮の建築様式は八幡造(はちまんづくり)とよばれています。この八幡造は、二棟の切妻造平入の建物が前後に接続した形で、両殿の間に一間の相の間(馬道)がつき、その上の両軒に接するところに大きな金の雨樋(あまどい)が渡されています。桧皮葺(ひはだぶき)で白壁朱漆塗柱の華麗な建物が、横一列に並んでいます。奥殿を「内院」・前殿を「外院」といいます。内院には御帳台があり、外院には御椅子が置かれ、いずれも御神座となっています。御帳台は神様の夜のご座所であり、椅子は昼のご座所と考えられています。神様が昼は前殿、夜は奥殿に移動することが八幡造の特徴です。また、八幡造のもととなったのは、二之御殿の脇殿・北辰神社の建物ではないかといわれています。一之御殿が神亀2年(725)、二之御殿が天平5年(733)、三之御殿が弘仁14年(823) にそれぞれ建てられました。


八幡さまは古くより多くの人々に親しまれ、お祀りされてきました。
全国約11万の神社のうち、八幡さまが最も多く、4万600社あまりのお社(やしろ)があります。宇佐神宮は4万社あまりある八幡さまの総本宮です。


御祭神である八幡大神さまは応神天皇のご神霊で、571年(欽明天皇の時代)に初めて宇佐の地にご示顕になったといわれます。
応神天皇は大陸の文化と産業を輸入し、新しい国づくりをされた方です。
725年(神亀2年)、現在の地に御殿を造立し、八幡神をお祀りされました。
これが宇佐神宮の創建です。


宇佐の地は畿内や出雲と同様に早くから開けたところで、神代に比売大神が宇佐嶋にご降臨されたと『日本書紀』に記されています。比売大神様は八幡さまが現われる以前の古い神、地主神として祀られ崇敬されてきました。八幡神が祀られた8年後の733年(天平5年)に神託により二之御殿が造立され、宇佐の国造は、比売大神をお祀りしました。


三之御殿は神託により、823年(弘仁14年)に建立されました。
応神天皇の御母、神功皇后をお祀りしています。神功皇后は母神として神人交歓、安産、教育等の守護をされており、そのご威徳が高くあらわれています。


八幡大神の御神徳は強く顕現し、三殿一徳のご神威は奈良東大寺大仏建立の協力※や、勅使・和気清麻呂(わけのきよまろ)公に国のあり方を正してゆく神教を賜ったことで特に有名です。
皇室も伊勢の神宮につぐ第二の宗廟としてご崇敬になり、勅祭社16社に列されています。また、一般の人々にも鎮守の神として広く親しまれてきました。



※東大寺大仏建立

奈良の大仏は聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ)が行われました。

大仏を作るために使われた金属は銅499.0トン、すず8.5トン、金0.4トン、水銀2.5トンです。
聖武天皇は疫病や社会不安から国を鎮護するための国家的大事業として東大寺を建立していましたが、天皇が沢山の費用を使って仏教寺院を建立すれば、貴族からどんな反対の意見が出るかもしれません。

そんな心配のある時に、宇佐の八幡神から「われ天神地祇(てんしんちぎ)を率(ひき)い、必ず成し奉(たてまつ)る。銅の湯を水となし、わが身を草木に交(まじ)えて障(さわ)ることなくなさん」という協力の託宣が出されました。

八幡神は天の神、地の神を率いて、わが身をなげうって協力し、東大寺の建立を必ず成功させるというのですから、聖武天皇にとって、これほど心強いことはありません。大仏に塗(ぬ)る金が不足すると金は必ず国内より出るという託宣を出し、やがて陸奥国から金が献上されてきました。



※神輿発祥の地 宇佐

また、大仏鋳造直後の天平勝宝元(749)年12月に八幡大神とお供の宇佐宮の女禰宜(めねぎ)・大神杜女(おおがのもりめ)が大仏を拝するため、紫の輿(こし)に乗って転害門(てがいもん)をくぐりました。これが「神輿(みこし)」の始まりとされています。

紫の輿とは天皇が使用する高貴なものでした。転害門では大勢の僧侶、文武百官(もんぶひゃっかん)が出迎えました。東大寺では八幡神を迎え、聖武太上(しょうむだいじょう)天皇、考謙(こうけん)天皇、光明皇太后(こうみょうこうたいごう)の行幸のもと、僧侶5000人の読経(どきょう)、呉楽(くれがく)、五節舞(ごせちのまい)などの法要が賑々しく営まれました。

また、三年後の天平勝宝4(752)年に行われた東大寺大仏開眼法要について、『東大寺縁起(えんぎ)』には、次のように記されています。開眼法要のため聖武太上天皇・孝謙天皇が大仏殿に入御され、続いて八幡神も入御になりました。そのとき、「神明霊威」により内裏に「天下太平」の文字が出現しました。おめでたいということで、年号を天平勝宝から天平宝字に改元したといわれています。

大仏建立の協力の褒美(ほうび)として朝廷から八幡神へ封戸800戸・位田60町がおくられ、東大寺が完成すると東大寺を護(まも)る神として、寺の近くに手向山(たむけやま)八幡が分霊(ぶんれい)として祀られました。八幡神は奈良の人々に強力な印象を与え、国家神としての第一歩を踏み出したのでした。


八幡信仰とは、応神天皇のご聖徳を八幡神として称(たた)え奉るとともに、仏教文化と、我が国固有の神道を習合したものとも考えられています。
その長い信仰の歴史は宇佐神宮の神事や祭会、うるわしい建造物、宝物などに今も見ることができます。
千古斧(おの)を入れない深緑の杜(もり)に映える美しい本殿は国宝に指定されており、総本宮にふさわしい威容を誇っています。

国東半島に伝わる神仏習合の六郷満山文化

国東半島に点在する数多くの六郷満山の寺は、養老2年(718年)に仁聞菩薩が開基したと伝えられています。仁聞菩薩は、宇佐八幡神の化身(生まれ変わり)として宇佐・国東の地に、今をさかのぼること約1300年前に神仏習合の原点となる山岳宗教「六郷満山」を開かれました。平成30年(2018年)は仁聞菩薩によって開かれた六郷満山の1300年の節目を迎えました。

宇佐神宮には、宇佐宮弥勒寺といわれる神宮寺がありました。現在もその跡は宇佐神宮の境内に残っています。この弥勒寺から国東半島の山々へ厳しい修行の場を求め数多くの寺や岩屋が開かれ、半島に点在しています。


六郷満山について、更に詳しくは下記のリンク先にてご覧いただけます。


ZIPANG TOKIO 2020
「六郷満山 〜2018年 六郷満山開山1300年〜 国東半島一帯に広がる六郷満山文化とは(第一話)」


ZIPANG TOKIO 2020
「六郷満山 神・仏とご縁を結ぶ巡礼 〜2018年 六郷満山開山1300年〜 国東半島一帯に広がる六郷満山文化とは(第二話)」


ZIPANG TOKIO 2020
「六郷満山 世界遺産認定を目指して〜2018年 六郷満山開山1300年〜 国東半島一帯に広がる六郷満山文化とは(第三話)」


ZIPANG TOKIO 2020
「国宝 富貴寺 六郷満山開山1300年 非公開文化財特別公開 【豊後高田市】」


ZIPANG TOKIO 2020
「豊後高田市『富貴寺大堂』と山形県白鷹町『深山観音堂』の建築にみる東西文化の違いとは! 寄稿文」


ZIPANG-2 TOKIO 2020
「幻の大寺」で「日本一の仏像」に出会う!豊後高田市【真木大堂】〜2018年 六郷満山開山1300年〜


ZIPANG-2 TOKIO 2020
  ~神と仏が息づく文化~ 「六郷満山開山1300年記念 秋の特別キャンペーンのご案内」


ZIPANG-2 TOKIO 2020
「 六郷満山に千年前より伝わる 大宗教典儀『修正鬼会』が始まる 」



協力(敬称略)

宇佐神宮 〒872-0102 大分県宇佐市大字南宇佐2859 TEL:0978-37-0001

国東半島宇佐地域六郷満山開山1300年誘客キャンペーン実行委員会
〒873-0504 大分県国東市国東町安国寺1639番地2(弥生のムラ 国東市歴史体験学習館内)
TEL:0978-72-5007

豊後高田市役所〒879-0692 大分県豊後高田市是永町39番地3(高田庁舎)
電話番号 0978-22-3100(代表)

文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。

ZIPANG-3 TOKIO 2020

2020年東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、神社仏閣、祭礼、伝統芸能、風習、匠の技の美、世界遺産、日本遺産、国宝等サイトを通じて平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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