ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~全国の姥神像行脚(その3)~「栃木県那須塩原市『茶臼岳の姥神像』とは・・・  【寄稿文】 廣谷知行」

はじめに 記事をお届けするに当たり、先の北海道における地震災害、関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。

  

姥神とは

姥神の定義の説明の前にまず、奪衣婆の説明をさせていただきたい。 奪衣婆とは、死後にあの世へ渡るための三途の川の岸辺にいて、亡者の衣を脱がせる存在である。なぜ脱がせるのかと言うと、その衣を衣領樹(えりょうじゅ)と呼ばれる木の枝にかけるためである。そうすると生前の罪の大きい者は枝が大きく下がり、小さい者はほとんど動かない。亡者の罪はその衣に重さとなって染み込んでいることになる。衣領樹は罪を量るはかりであり、それを審査するのが奪衣婆である。

この奪衣婆の姿は、目をらんらんと開き、耳まで裂けた口には牙を生やしたいわゆる鬼婆の顔。そして片足を立てて座り、はだけた上着からは垂れた胸をあらわにしている。

この奪衣婆に対しその像容が一緒であり、しかしながら単独で祀られているものがある。富山県立山芦峅寺の姥堂に祀られていたものなどは、奪衣婆と同じ姿の像をおんば様と呼び、奪衣婆とは別のものとして信仰していた。これに似たような信仰が今も全国に残っている。これら像容が奪衣婆と同じで、それ単独で祀られているものを奪衣婆とは区別し、ここでは姥の神、姥神と呼ぶこととする。


茶臼岳の姥神像

茶臼岳の姥神像

◆日本百名山の観光地

白煙をはく茶臼岳

栃木県那須塩原市の茶臼岳は、日本百名山のひとつに数えられ、那須高原の観光地としても有名で、麓には九尾の狐が変化した殺生石や千体地蔵などもあります。標高は1、915mで、火口付近からは常に水蒸気が噴出し、硫黄臭が立ち込めています。

殺生石

千体地蔵


その登山コースのなかに〝姥ヶ平〞という場所があり、そのコース中、ひょうたん池との分岐点に姥神が祀られています。


この山は、弘法大師が大同年間(806〜809年)に開いたと伝えられ、江戸時代初期には、茶臼岳西側に湧く温泉を御神体にし、高湯山または白湯山と呼んで盛んに信仰されていました。


◆月山を模して

さて、この茶臼岳は昔、月山と呼ばれていました。(そのなごりで、同岳南側の山の名は南月山となっています。) 


また、その中腹には「御宝前」と呼ばれる、湧き出る温泉が山の斜面を流れ落ちる場所があります。これが高湯、白湯山信仰の中心となっていたようです。ここでは、温泉の成分のため、風景全体が赤茶色になっています。

御宝前

山形、湯殿山の御神体もまた、「御宝前」と呼ばれ、岩から染み出す温泉が、景色を赤茶色に染めています。


そのほか、白湯山信仰の宿場となる三斗小屋宿跡には、湯殿山の本地仏である大日如来の石仏があり、またこの山では、シズノ平、(月山の志津)弥陀ヶ原(月山の頂上付近)などの地名も見られることから、茶臼岳は月山、湯殿山を模していたと考えることができます。

大日如来の石仏(前には不動明王)

◆姥神像に彫られた年号

茶臼岳の姥神像には、背中に文字が彫られ、「寛文十三年六月十□」と、「安永六年六月□□」が見えます。寛文十三(1673)年よりも、安永六(1777)年の方が新しいので、この年号が、姥神像が作られた時期だと考えられます。


また、白湯山の開山は、寛文十二(1672)年とされているので、先に彫られた寛文十三年は、開山時期を示しているのかもしれません。


◆湯殿山信仰から発展

全国の湯殿山信仰を遷した場所のなかでも、茶臼岳では、温泉が湧くこともあって白湯山信仰という独自の信仰として特に大きく発展したと思われます。


そこに姥神を建立していたことは、姥神と月山、湯殿山の信仰に強い結びつきがあったことがうかがえます。


参考文献

『黒磯市誌』 黒磯市誌編さん委員会 黒磯市
『三斗小屋誌』 田代音吉
『東国里山の石神・石仏系譜』 田中英雄 青娥書房


続く・・・


寄稿文 廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。 


 

ZIPANG-3 TOKIO 2020

2020年東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、神社仏閣、祭礼、伝統芸能、風習、匠の技の美、世界遺産、日本遺産、国宝等サイトを通じて平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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