はじめに 記事をお届けするに当たり、先の北海道における地震災害、関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
明日、平成31年4月1日は、新元号の発表の日でもあり日本国民にとって「寂しくもあり・・・嬉しくもある一日となりそうです・・・」
姥神とは
姥神の定義の説明の前にまず、奪衣婆の説明をさせていただきたい。
奪衣婆とは、死後にあの世へ渡るための三途の川の岸辺にいて、亡者の衣を脱がせる存在である。なぜ脱がせるのかと言うと、その衣を衣領樹(えりょうじゅ)と呼ばれる木の枝にかけるためである。そうすると生前の罪の大きい者は枝が大きく下がり、小さい者はほとんど動かない。亡者の罪はその衣に重さとなって染み込んでいることになる。衣領樹は罪を量るはかりであり、それを審査するのが奪衣婆である。
この奪衣婆の姿は、目をらんらんと開き、耳まで裂けた口には牙を生やしたいわゆる鬼婆の顔。そして片足を立てて座り、はだけた上着からは垂れた胸をあらわにしている。
この奪衣婆に対しその像容が一緒であり、しかしながら単独で祀られているものがある。富山県立山芦峅寺の姥堂に祀られていたものなどは、奪衣婆と同じ姿の像をおんば様と呼び、奪衣婆とは別のものとして信仰していた。これに似たような信仰が今も全国に残っている。これら像容が奪衣婆と同じで、それ単独で祀られているものを奪衣婆とは区別し、ここでは姥の神、姥神と呼ぶこととする。
蟻地獄のように落ちたら這い上がれそうになさそうな迫力のある吾妻小富士のクレーター
◆吾妻山の中心
福島県には日本100名山のひとつ吾妻山がありますが、この山は西吾妻山と東吾妻山の2つが登山コースも綺麗に整備されており人気です。東吾妻山の東側、浄土平の方にある吾妻小富士のクレーターはすり鉢状の綺麗な逆円錐型で、周囲を歩くことができ、なかなか見ごたえがあります。このあたりは活火山のため、硫黄ガスが立ちこめ、平成31年3月18日現在、噴火警戒レベルは2となっています。
さらにこの二つの山の間、猪苗代町に中吾妻山があるのですが、こちらは山深くにあり、展望もあまり望めないため、あまりメジャーではありません。しかしながらここに吾妻山の信仰の中心と考えられる吾妻山神社があります。
大きな岩の間から、硫黄臭のする乳白色のお湯が流れ出ている所謂「霊泉」であろう…
石碑には大正15年に奉納されたと彫られている文字が薄っすらと見える
◆有志の草刈整備のおかげで
この神社に行くためには、片道3時間程度の登山が必要になり、さらに神社は山頂にあるわけではありません。そのためか、あまり登山客はいない山となっています。ただ、地域の有志の方たちが年一回の草刈整備をしてくれているため、迷わずに行くことができました。有志の方には頭が下がります。
何度も急斜面を上り下りし、やっとのことで拝むことができたこの神社は、大きな岩の間から、硫黄臭のする乳白色のお湯が流れ出る場所です。やや湯気も見られますが、お湯はそんなに暖かくはなく、冷たくない水といった感じでした。神社の御神体と思われる大岩の横には、大正15年に奉納された石碑も見受けられます。
昔集落のあった「議場」地区の姥神像
◆この神社に姥神像が
この神社に登る時、林道から横に入り登山口に向かう途中に姥神像があります。このあたりは、昔集落のあった「議場」地区となります。議場地区では神社の入り口に姥神像を安置して祀っていたと考えられます。
鬱蒼とした森の中の奥姥神様
また、神社の約1キロ手前くらい、鬱蒼とした森の中になりますが、ちょっとした広場があり、そこにも奥姥神様として姥神像が安置してあります。
◆湯殿山の影響か
これまでのことからこの吾妻山神社は、お湯が流れ出る場所を御神体としていること、手前に姥神像が安置されていることが、その3で紹介した茶臼岳と共通しています。もちろん湯殿山神社と同じ状態だと言えます。
蓬莱山に幽玄な景色を作り出す鎌池
そして、あまりこの神社に関しての文献が見受けられないのですが、湯殿山信仰より古くからこの神社が信仰を集めていたという記録も無いこと、また、現在の状況を見ても湯殿山よりも信仰を集めていたとは考えにくいことから、吾妻山神社は湯殿山か茶臼岳を模したものと思われます。
茶臼岳は湯殿山神社を模しているので、吾妻山神社についても湯殿山を模した形と言うことができます。
ちなみに東吾妻山の近く、蓬莱山に幽玄な景色を作り出す鎌池があるのですが・・・
結界として置かれているだけあって一般人は近寄りがたいご面相である
ここから少し上った姥ヶ原にも姥神像があります。古い登山地図を見ると、現在は通れないようですが以前は東側からも吾妻山神社までの道があったようなので、これも吾妻山神社の手前に、結界の意味で置かれたのではないかと考えられます。
続く・・・
寄稿文 廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家
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