はじめに 記事をお届けするに当たり、先の北海道における地震災害、関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
7月1日は『琵琶湖の日』
7月1日は滋賀県が定めた記念日「びわ湖の日」。
滋賀県は、1996年(平成8年)7月に施行された滋賀県環境基本条例で、県民および事業者の間に広く環境の保全についての理解と認識を深めるとともに、環境の保全に関する活動への参加意欲を高めるために7月1日を「びわ湖の日」と定めたのでした。
菅浦へは湖上タクシーが大変雰囲気もあり、お勧めです。
イタリア・ミラノ郊外。イタリアからスイスにかけてコモ湖という湖があります。古代から中世にかけて貴族たちの憧れの湖で、山の上には別荘が造られています。また、ミラノ・ドゥーモの枢機卿がナポレオンのために造った別荘ヴィラ・ディ・エステは、現在ホテルになっています。モナコ公国のステファニー王女の定宿としてあまりにも有名です。
コモの町に船着き場があり、そこから湖上タクシーで、湖の中央を涼やかに風を切り風光明媚な景色を眺めながらホテル「ヴィラ・ディ・エステ」まで行くことが出来ます。湖に面した世界でも屈指の庭園でお茶をすることもできます。勿論、車で行くこともできますよ。
でも、お勧めは湖北「菅浦」と同様に水上タクシーですね。
ホテル「ヴィラ・ディ・エステ」のカフェテラス。 ©鎹八咫烏
湖面を渡る涼やかな風と共に、東の空の朝日を浴びて朝食後のひと時です。
コモの町にはシルクのファクトリーショップがあります。
ミラノコレクションが有名になる以前は、パリコレクションの製造拠点の一つでもありました。昔々、スイスに住むドイツ人が来て染色技術を伝えたものです。
家具の表面材として使用されている染色単板は、このコモにて作られたものです。
いつものことですが、つい湖繋がりで、コモ湖のことを想い出し横道にそれてしまいました。
今回の主役は、琵琶湖・菅浦なので、コモ湖についてはいずれかの機会に・・・
この菅浦は、コモ湖に勝るとも劣らない日本の湖と自然環境を守る湖岸集落として世界に誇ることのできる地でもありす。
恐らく⁉次の写真をご覧になられると、きっと今すぐにでも出かけたくなるのでは!
日本遺産「湖北・菅浦」です
奥琵琶湖パークウェイの延々と続く桜並木です
奧琵琶湖パークウエイの見事な桜が延々と続きます
菅浦は,琵琶湖最北部の急峻な沈降(ちんこう)地形に営まれた集落であります。鎌倉時代から江戸時代にかけての集落の動向を記した『菅浦(すがうら)文書(もんじょ)』によると,永仁3年(1295),菅浦は集落北西に所在する日指(ひさし)・諸河(もろこ)の棚田(たなだ)を,隣接する集落である大浦(おおうら)と争い,以降150年余りにわたって係争が続いたことが知られています。
また,14世紀半ばには住民の自治的・地縁的結合に基づく共同組織である「惣(そう)」が,菅浦において既に作り上げられていたことが分かります。中世以来の自治意識及び自治組織は,時代に応じて緩やかに変化しながら,現在まで継承されているのです。
菅浦の居住地は,西村及び東村に大きく二分され,それぞれ西の四足門(しそくもん)及び東の四足門で集落の境界を表しています。また,湖から集落背後の山林にかけて連続する地形の中で明確な集落構造が認められます。
特にハマと呼ぶ湖岸の空間は,平地が狭小な菅浦において極めて有用であり,生産の場・作業場・湖上と陸上との結節点といった多様な用途が重層しているのです。
このように,菅浦の湖岸集落景観は,奥琵琶湖の急峻な地形における生活・生業によって形成された独特の集落構造を示す景観地であります。
中世の「惣」に遡る強固な共同体によって維持されてきた文化的景観で,『菅浦文書』等により集落構造及び共同体の在り方を歴史的に示すことができる希有な事例といえます。
【日本遺産】菅浦の湖岸集落
琵琶湖の北端は「奥琵琶湖」と呼ばれ、湖岸まで山がせり出しているその地形は、北欧のフィヨルドのような美しさ。永原駅から南に下がり、湖に映る木々が美しい並木通りを進むと、「隠れ里」と称される菅浦に辿り着く。
菅浦海岸の夕景は格別です!
青空と夕日が湖と湖岸に建つ家々に映り込み日が沈むにつれて幻想的な雰囲気になっていきます。
かつての監視門であった茅葺きの四足門(しそくもん)※をくぐると、そこは懐かしい漁村の風景が広がります。
茅葺きの四足門
※四足門
菅浦には、東と西の入口に、それぞれ茅葺きの棟門があります。
この門は4脚で、中世から明治維新まで集落の四方の入り口にあったことから四足門と呼ばれています。
集落の入り口にあることから、村の出入りの検札が行われていたと推測されます。
校倉・高床式の「菅浦郷土史料館」
★日本遺産★~水と暮らしの文化~
奥琵琶の急峻な湖岸地域に形成された独自の集落構造を示す菅浦は、万葉集にも詠まれた。古くから湖上交通の重要な港としてしられています。中世に「惣」に遡る強固な協同組織によって維持されてきた湖岸集落からは、古くから続く水辺のくらしが今も息づいています。
編集後記
今回で竹生島を中心としたシリーズは6回目となった。
いま思えば、
50年ほども前になろうか…木之本宿の高橋氏に案内してもらったことが思い出される。湖北・湖東のどの集落においても、本来、昔の民家というものはその土地に根付いた地元大工が建てたものであった。
その後、世代交代やライフスタイルの変化、それに伴うハウスメーカーの台頭や、科学の進歩による様々な工法の住宅が出現していつしかその地域の特性が失われ、どの地方も都会の住宅展示場のようになってしまった。
当時、湖東の大工さんが独り言のようにこんなことを呟いたのを思い出す。「数十年経ったら、我々大工は今の宮大工位に減少するであろう」と・・・ 実ににその通りの有様を目の当たりにしている。これが人間の進歩というべきか・・・
今夜はこの辺で。
皆々様安らかにお休みなさい。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
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