はじめに 記事をお届けするに当たり、先の北海道における地震災害、関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
竹生島棒術発祥の地
虹の竹生島
すべては、天照皇大神のお告げから
竹生島宝厳寺は、神亀元年聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より 江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。 すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう。 というお告げを受け、僧行基を勅使として遣わし、堂塔を開基させたのが始まりです。
本号はご住職のお話を中心に、ご紹介いたします。
住職語り 『面白の島の四方山話』
全国に広がった"竹生島"
上野寛永寺根本中堂
東京の不忍池にある寛永寺
上野弁天堂
上野恩賜公園
東京にある竹生島
七福神の一人である弁天様ですが、その七福神への信仰は江戸時代に大変盛んになりました。そこに尽力したのが比叡山のお坊さんである天海です。天海は東京の上野公園内にある天台宗のお寺、寛永寺をつくった人です。天海は徳川家康が江戸に都を移す際、上野山一帯を江戸の町の鬼門封じのスポットとして、京都の町に似せたまちをつくりました。
東にある比叡山延暦寺として東叡山寛永寺を建立、不忍池(しのばずのいけ)を琵琶湖に、上野山を比叡山に見立てます。その不忍池には竹生島になぞらえた弁天島を築き、ここに宝厳寺に見立てた不忍池弁天堂を建立しました。こうして弁天様は福徳の神ということで、江戸庶民の中に広まっていきました。
当時の江戸 岡山津山の「江戸一目図屏風(えどひとめずびょうぶ)」
現在の上野の街です。弁才天様の御蔭で発展いたしました。自然を残したいですね~
竹生島と月とうさぎ
海津大崎から竹生島を望む
今まさに竹生島に沈もうとしている夕日。天照の最後の輝きを・・・
竹生島夕景
江戸時代前期の元禄時代(1688年~1704年)は、経済活動が盛んで芸術文化においても華やかな時代で、能楽は幕府が武家の式楽としたことから発展しました。そんな時代において竹生島を背景とした湖水の風光明媚なさまは、江戸庶民からも称賛され、能の中で「竹生島」が語り継がれるようになりました。
徳川家康公着用の【萌黄地葵紋波兎文辻ヶ花染羽織】復元
その「竹生島」に「緑樹影沈んで、魚木に上る気色あり、月海上に浮かんでは、兎も波を走るか、面白の島の気色や。」という語りがあります。波の白いしぶきが兎に見え、月から兎がおりてきているように見える、と語っているのです。
また、その状況は竹生島の御詠歌でも語られ多くの人に知られています。「月も日も 波間に浮かぶ 竹生島 船に宝を 積むここちして」(西国三十三寺御詠歌/第30番)。お月さんに島影があって、そこには女神がいて、だからここは宝の島、宝船のようですよ、と歌っています。前者の能の一節は、後に波兎の模様がつくられました。今でも手ぬぐいや湯のみなど、いろんな染めの絵柄で見られます。名古屋の徳川美術館では徳川家康公着用の「萌黄地葵紋波兎文辻ヶ花染羽織」として復元されています。家康も波兎の模様を好んだのでしょうか。
極楽橋の竹生島移築の謎!
宣教師ルイス・フロイスも絶賛!
高台院画像(部分)
江戸時代前期 名古屋市指定文化財 木下家資料 秀吉の正室高台院(ねね)の肖像画。秀吉没後剃髪した姿で描かれる。
大阪城の極楽橋の、ここ宝厳寺への移築に貢献したのが寧々だったのではないかというお話をしましたが、その極楽橋は1596年(慶長元年)に秀吉が架けた、大阪城北の丸と二の丸を繋ぐ橋だとされています。当時日本にいた宣教師ルイス・フロイスは絶賛して、「木造で総漆、金箔や宝石を散りばめ、彫刻で絵を描いた極彩色の50mほどの橋で、小櫓が太陽の光を浴びると素晴らしい輝きを放つ」と記録に残しているそうです。
その橋ができてすぐに秀吉が亡くなり(1598年/慶長3年)、1600年(慶長5年)に橋を崩して京都東山の豊国廟に移築されたことは醍醐寺座主三宝院義演による日記『義演准后日記』に記述が残っています。その後、1602年(慶長7年)に竹生島に移築したと豊国廟社僧の梵舜(ぼんしゅん)が『舜旧記』に書いています。
宝厳寺唐門は極楽橋の入り口部分だとされる
オーストリアの世界遺産・エッゲンベルク城で確認!
極楽橋と唐門とを結びつけたのは、2006年、オーストリアの世界遺産・エッゲンベルク城で確認された豊臣期大坂図屏風です。関西大学名誉教授 高橋隆博先生、大阪城天守閣館長 北川央氏らの調査で、極楽橋の正面の姿が竹生島・宝厳寺にある唐破風(からはふ)様式の唐門と酷似することがわかりました。唐門に残る牡丹唐草の彫刻の特徴も一致。
これだけ豪華で大きな門ができるのは秀吉ぐらいしかいなかったのではないか、と言われています。大坂夏の陣で落城後、徳川幕府が徹底的に壊して埋め、新しい大坂城を築いたことからも、家康は極楽橋という秀吉の栄華の象徴が目障りで、ゆかりの竹生島へ移築したのではないかとも言われています。
面向不背(めんこうふはい)の玉が宝厳寺に?
香川県にある志度寺に「海女の玉取り伝説」というお話があります。藤原不比等(ふじわらのふひと)が中国の唐に嫁に行った妹からもらった『面向不背の玉』を 持って都に帰って来る途中、龍神に奪われてしまいます。藤原不比等は玉を取り返そうと志度の地にとどまり、そこで出会った海女と恋仲になります。そして、海女に自分のこと(玉のことも)を話します。
すると、二人の間に生まれた男の子を藤原家の正式な跡取りにと約束し、自分の命と引き換えにその玉を取り返しに行きます。自分の乳房を切り、そこに玉を入れて持って帰り死んでしまう悲しいお話として、能の「海士(あま)」で語られています。『面向不背の玉』は奈良の興福寺に納められ、現在はここ、宝厳寺にあります。ただ、なぜここにあるかは今も謎のままです。
年間行事
修正会(しゅしょうえ) 元旦~四日
一年間の世界平和と五穀豊穣をご祈祷します。この期間お参りの方には、元旦に鏡割りをしたご宝酒をふるまわせて頂きます。
星祭(節分会) 二月二日~四日
「北斗九星像」(重要文化財)
※現在は奈良国立博物館に寄託
祈祷に応募していただいた方に1年間の無病息災を祈願する行事です。(祈祷の募集は前もって致します。) 護摩堂で午前、午後に1回ずつ1時間程度いたします。
節分会は本来、各人の生まれた時に定められた星「本命星(ほんみょうじょう)」と、その年の運命を司る星「当年星(とうねんじょう)」を祀って一年の災いを除ける法要で、当寺では「星祭」と呼んでいます。「本命星」は北斗七星の7つの星を指し、星祭においては北斗七星は最も重要な星といえます。
北斗七星は文字通り、七つの星を結ぶ星座ですが、中国ではこれに「輔星」「弼星」の2つの星を加え、北斗九星という考え方があります。
北斗七星の七つの星を土曜、水曜、木曜、火曜、金曜、月曜、日曜の「七曜」とし、それらに破壊と災いを象徴する二つの星、「羅ごう」「計都(けいと)」を加えて「九曜」とたとえられました。
これら吉凶を司る星の巡りから運気を読み取り、マイナスの運気を削ってプラスの運気に転じることが星供養(=星祭)です。
当寺には、絹本著色の「北斗九星像」(重要文化財)が保存されており、そこには、二人の従者の後に白衣を纏った7人の尊像、その後ろには礼装の2人の男性像が描かれています。白衣を纏った7人は北斗七星を表し、中国王侯風の冠服を着た2人が北斗七星の隠星「輔星(羅ごう)」「弼星(計都)」を表しています。
祈願祭(仏餉会・ぶっしょえ) 七月最終日曜日
前年の年末にお米を奉納いただいた地区の区長さんにお参りしていただき、五穀豊穣を祈念する行事です。
蓮華会 八月十五日
竹生島最大の行事。(旧来は弁才天様を新規に作造して、家でお祭りし8月15日に竹生島に奉納する行事でした。) 浅井郡の中から選ばれた先頭・後頭の二人の頭人夫婦が、竹生島から弁才天様を預かり、再び竹生島に送り返します。(元来は天皇が頭人をつとめていたものを、一般の方に任せられるようになったもので、この選ばれた頭役を勤めることは最高の名誉とされてきました。
この役目を終えた家は「蓮華の長者」「蓮華の家」と呼ばれます。)
頭人は、出迎えの住職・役員・三人の稚児とともに、島の中腹の道場に入り休息、その後おねりの行列が出発します。そして急な階段を一歩一歩踏みしめて登り弁天堂に入場いたします。 その後、弁才天様を祭壇に安置し、荘厳な中で法要が行われます。
蚕糸祭 十月二十日
弁天様の15人の従者(十五童子)の一人「養蚕童子」にちなみ、滋賀県の養蚕関係者が年に一度、蚕の供養をする行事です。
開催日は毎年奉賛会により決定されます。
天女ご縁日 毎月十五日
毎月15日は弁才天様のご縁日です。 弁才天様は古来より「芸能向上」「商売繁盛」の御徳が大きいと言われています。 又、ご縁日にご祈願をすれば、その願いはより成就すると伝えられています。 是非この日に特別祈願下さいますよう、ご案内申し上げます。
毎月15日に奉納
基本 11:30と13:30 ※申込者多数の場合は随時受付します。
特別祈願料:5,000円より
観音ご縁日 毎月十八日
毎月18日は観音様の縁日です。
ご祈祷・御守
弁天様の幸せ願いダルマ
当山は、弁才天の聖地として古くより多くの信仰を集めております。 また弁才天は、人々を苦しみから救い幸せに導いてくれる女神とされております。 当山では、「弁天様の幸せ願いダルマ」といって、小さくて赤い可愛いダルマの中にお願い事を書いた紙をダルマの中に収め、本堂に奉納するという願掛けがあります。
このダルマに、皆様の心にある悩みや苦しみを弁天様に打ち明け、安らぎと幸せを願っていただきたいと思い、奉製いたしました。
奉納されましたダルマは、本堂にて一年間祈願させていただきます。
弁天様の幸せ願いダルマ
ご奉納いただいたダルマの代わりに、「弁天様の幸せ願いダルマ」を模したストラップ御守をお持ち帰りいただけます
ご祈祷
当山では、様々な病気の平癒、又は願い事の成就をご本尊大辯才天(観音堂は千手千眼観世音菩薩)に祈願し、1日2回時間を定めてご祈祷を行い、祈祷札を授与いたします。
祈祷期間は1ヶ月から1年までご自由に選んでいただけます。
開運厄除 家内安全 身体健全 交通安全 芸能向上 入試合格 学業成就 諸魔退散 商売繁盛 良縁成就 安産成就 子宝成就 旅行安全方除成就 八方徐災 就職成就 心身健全 事業発展 当病平癒 仕事安全
御守・御札
竹生島宝厳寺でお分けしている御守や御札等授与品の一部をご紹介します。
御守・御札等は本堂(弁財天堂)、観音堂、納経所等にて授与しております。
御朱印
竹生島宝厳寺では、本尊の大弁才天のほか、西国札所第三十番の千手千眼観音菩薩、および御詠歌の御朱印を授与しています。
御本尊参拝の後、納経所にて御朱印拝受の申し込みを行ってください。
御朱印帳
左:西国三十三霊場納経帳
右頁に各札所の御詠歌が印刷されています。
表紙・裏表紙には金襴生地を使用しています。
右:御朱印帳
蛇腹(アコーディオン)式40頁。表紙・裏表紙は金襴生地装丁と和柄縮緬装丁のものがあります。
竹生島へのアクセス
長浜港から竹生島行き観光船で30分(長浜、今津、彦根各港から連絡船あり)
●琵琶湖汽船(長浜港)0749-62-3390
●オーミマリン(彦根港)0749-22-0619
この度、第5回に渡りご紹介いたしました「竹生島宝厳寺」ひとまず本号にて終了といたします。
今後は、祭事等の開催時に改めてご紹介いたします。
ご住職並びに、今回ご協力いただきました関係者の皆様に御礼申し上げます。
本年から、ゴールデンウイークが最大で10連休となります。その中の1日か2日お時間をとり、
滋賀県の琵琶湖「竹生島 宝厳寺」まで足を延ばしてみて下さい。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
ご協力(順不同・敬称略)
竹生島 宝厳寺 〒526-0124 滋賀県長浜市早崎町1664−1TEL:0749-63-4410
公益社団法人長浜観光協会 〒526-8501 滋賀県長浜市八幡東町632 TEL.0749-65-6521
公益社団法人びわこビジターズビューロー
〒520-0806滋賀県大津市打出浜2-1「コラボしが21」6階 電話 077-511-1530
徳川美術館 〒461-0023 愛知県名古屋市東区徳川町1017TEL 052-935-6262
長浜市役所 〒526-0031 滋賀県長浜市八幡東町632 電話: 0749-62-4111
名古屋市役所 名古屋市中区三の丸三丁目1番1号 電話番号 052-961-1111
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