ZIPANG-3 TOKIO 2020 住職語り『面白の島の四方山話』(第四話)

はじめに 記事をお届けするに当たり、先の北海道における地震災害、関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。


すべては、天照皇大神のお告げから

竹生島宝厳寺は、神亀元年聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より 江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。 すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう。 というお告げを受け、僧行基を勅使として遣わし、堂塔を開基させたのが始まりです。


本号はご住職のお話を中心に、ご紹介いたします。


住職語り 『面白の島の四方山話』

女性たちの島

弁才天坐像

浅井姫命の話

滋賀県の『近江国風土記』の中に「山の背比べ」という近江の昔話があります。夷服(伊吹)の山と浅井岳が背比べをしました。そこで負けた夷服山の神が怒って浅井岳の首を切り落としました。それが琵琶湖に落ちて竹生島になったというお話です。

浅井岳の神様というのは浅井の氏神の姫のことをいいます。 首がなぜ島になるという伝説となったのか?それは浅井の人たちが自分たちの信仰を島に残したかったからです。

浅井姫と深く関わる浅井の地の人々は、信仰の対象として女性の仏様を必要としました。その仏様が弁天様だったのです。ここで多くの人が疑問に思う「弁天様は七福神での紅一点の神では?」。まさに、宝船の絵が頭に浮かびますが、実は弁天様は『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』という仏教経典に説かれた仏様なのです。

ですから弁天様はこの浅井の地に信仰の対象として根付くことになり、竹生島は日本で最初に弁才天信仰が根付いた島となりました。

浅井岳(現在の金糞岳かなくそだけ)

標高1317m、伊吹山に次ぐ県下第2位の高峰。

岐阜県との境界をなし、草野川の支流、東俣谷川・白谷川の源流域です。山頂からは、北に白山、御岳、北アルプスの峰々を望み、南は眼下に琵琶湖を見下ろす雄大なパノラマが展開します。

登山道は白谷、中津尾根、東俣本流と3つのコースがあり、誰でも手軽に登山の醍醐味が味わえる山として人気があります。6月中旬までは雪が残るため、夏から秋にかけて多くの登山客が訪れます。また山頂付近に天然記念物のシャクナゲ(滋賀県の花)や珍しい高山植物が自生し、訪れる登山客の目を楽しませてくれます。


能の「竹生島」に忍ぶ女仏の島

竹生島は明治時代までは女人禁制の島でした。なのになぜ女性たちの信仰の島とされているのか?そこを紐解いていきましょう。

能の「竹生島」に出て来るお話です。朝廷の大臣たちが竹生島参詣のため琵琶湖を訪れます。そこで老人と女が乗った釣舟を見つけ同船し、竹生島へと向かいます。女人禁制であるはずの竹生島に女も一緒について来る。それを老人に問うと、竹生島は女体の弁才天を祀り、女性をお隔てにならないと返し、島の由来を臣下に語り聞かせます。

そして、自分たちは人間ではないと言って女は社殿に入り、翁は水中に入って姿を消してしまうのです。その船に乗っていたのは弁天様だったのです。つまり、竹生島は女人禁制ではあるものの、女性たちを守る信仰の島であったということを、能に忍ばせているのです。

「能楽図絵」 「竹生島」絵師 耕漁(arcUP1002)

画面左上の詞章には「光もかくやく金銀珠玉をかのまれ人に さゝくるけしき」と書かれているが、まさに、後シテ龍神が、ワキ廷臣に宝珠を授ける場面であり、ここは後場の眼目でもあります。


本作では、笛座(正面から向かって右奥の笛方が座る位置付近)の位置から、少々変わったアングルで舞台をとらえています。主役たるべき、後シテが画面の最前面に描かれるのではなく、ツレ弁財天、ワキツレの廷臣の奥に配置することになってしまうが、シテとワキによる宝珠の授与よりも、ワキに向かって走るシテの動的な姿を描き出すことに主眼を置いたのではないでしょうか。


後シテは、黒髭の面も気迫に満ち、なびく赤頭とともにスピード感までもが感じられます。


竹生島を守り尽くした寧々(ねね)

「竹生島奉加帳」(重要文化財)

宝厳寺の復興に貢献! 

宝厳寺が火災で焼けた(永楽元年/1558年)後、復興させたのは秀吉ではなく寧々でした。 秀吉の家族や家臣たちによる寺への寄進記録『竹生島奉加帳』というのがありますが、そこには寧々が、城内で女性たちから寄付を集めて、竹生島の復興を助けたことが分かる記録があります。

『竹生島奉加帳』の見返しには記帳の書式とは異なるかたちで秀吉の記述がありますが、おそらくそれは、寧々が秀吉を気遣い記録を書きためていった過程で書き足されたものであろうということが容易に推測されます。

竹生島は女人禁制であったため、寧々は直接竹生島に来てはいませんが、寧々や茶々や初、江の浅井三姉妹など、多くの女性たちが弁天さんを深く信仰し、守ってきたのです。


大阪城の極楽橋移築に貢献! 

秀頼は大阪城の極楽橋の移築に貢献しましたが、秀頼は実質7歳なので、茶々(淀殿)がその意思決定に大きな影響力を持っていたことになります。しかし、秀頼側には力はなく実際には家康が命令を出しています(豊国廟の極楽門を島に移すとした日記に徳川家康の命令を指す「内府より」の記述があります)。

では誰が家康にものを言えるか、というと、それは寧々しかいません。 戦国の動乱の時代、女性の役割、立場は強かったことが、この竹生島においても伺い知ることができます。


信長の浅井に対する情と竹生島信仰

宝厳寺は延暦寺とつながりが深い寺です。ご存知の通り信長は比叡山焼き討ちを行っていますが、この宝厳寺には何もしませんでした。

織田信長の義理の弟・浅井長政(織田信長が目に入れても痛くないほど可愛がっていた妹・お市の方の夫)の居城のあった小谷城址からの竹生島の眺め(中央に見える小島)

姉川の合戦(1570年)の後、真っ先に竹生島に来た武将は信長です。 信長は戦いで浅井長政を打ち破りますが、心の奥底で長政の生き方を認めていたのでしょう。

「姉川」
浅井と織田の合戦では、姉川の水の色が両軍の戦士の血で真っ赤に染まったそうです。
50年位前に聞いた話ですが(当時の新聞にも紹介されたと思いますが⁉)長い年月、琵琶湖のある一定の深さを漂っていた戦死者が嵐で荒れた湖の中から上がってきたことも・・・この後の賤ケ岳の合戦※の戦死者だったかもしれません…合掌

※賤ヶ岳合戦とは、羽柴秀吉と柴田勝家が、織田信長の後継者を競った まさに天下分け目の戦い


長政には7回も降伏を勧告する手紙を送っているという説があり、浅井の地域では有名な話として伝わっています。

永禄元年(1558年)の宝厳寺焼失に対し、その後、長政は籠城しているにもかかわらずその三年間に宝厳寺復興のため竹生島に材木を寄付しています。山の木を伐らせて筏を組み材木を運んでいる様子を信長は見てはいたものの、それを攻めることはありませんでした。

さらに信長は、小谷城落城(1573年)の後に朱印安堵状(竹生島の建物と寺領を浅井氏と同様に安堵することを表明した朱印状)を持ってきて、この寺は自分が守ることを示しました。

一方、秀吉は小谷城の落城後、宝厳寺復興のために集められた材木で長浜城を建立します。そのため、お寺の復興はできなくなってしまいました。

「竹生島を守り尽くした寧々」でもお話しましたように、宝厳寺復興に関しては、秀吉よりも寧々による尽力があった可能性が高く、対して、信長は竹生島に参詣を行っていることが『信長公紀』にも書かれており、意外な信長の竹生島への信仰の深さに驚かされます。

 竹生島 宝厳寺本堂「弁才天堂」

 羽柴秀吉書状(複製)


清い心の弁天様

弁天様と水とのつながり

弁天さんは芸能の神様なので、竹生島には芸道精進を願う芸妓さんや舞子さんのご参拝も多く見られます。

ですから七福神の絵では楽器を持っている弁天様が一般的ですが、本来の弁天様は八本手に武器を持っていて、これが本当の姿です。


弁天様はインドから伝わった神様です。アーリア人という北インドの遊牧民の信仰の神であることが、リグヴェーダ(聖典書の一つ)という古い教典に弁才天のことが書かれています。そして、オアシスを生活の場としている遊牧民は水が非常に大事であること。


弁天様が水をイメージとするのは、全ての生命は水から生まれ、そこで育くまれるからなのです。フランス語の名詞に性別があるように、ヒンディー語でも名詞には性別があり、「水」は女性名詞です。そういうことからも水に関わるのは女性とされているのです。


弁天様のような慈母的愛に福が来る

長野善光寺山門

善光寺本堂

信州善光寺お戒壇巡り入口
(岐阜県関市の善光寺にも人が亡くなってから成仏するまで49日になぞられ暗闇の長さ49メートルある卍字型のお戒壇巡りがあります。子供の頃参道の麓にあった親戚を訪ねる度に精神修行だと言っては、真っ暗な中を歩かされ怖い想いをしたことを記憶しています。確かに修行になりました。でも、当時は修行どころか怖くて怖くて・・・)

信州善光寺には「お戒壇巡り」と呼ばれるお参りがあります。
別名「胎内巡り」と言い、仏様のお腹を巡って出て来ることを意味し、そうすることにより真っ白な汚れのない自分になること、すなわち「再生」を意味しています。


お腹を巡って体外に生まれ出るということは、もちろん「赤ちゃん」に通じています。
「赤ちゃん」の「赤」には、「(夜が)明け、朝になって太陽が昇る」からくる「純粋で汚れの無い」「生まれたて」「始まり」のイメージや、「赤の他人」「真っ赤な嘘」のように「何も無い、全く無い」という意味で使われることがあります。また、「赤」の語源は、仏前に供える浄水を意味するサンスクリット語「アルガ」にあり、それに漢字を充てると「閼伽(あか)」、さらに英語に転じて「aqua(=アクァ)」につながるという説があります。


生まれたての赤ちゃんの体を清潔に保つためベビーバスなどで洗ってあげることを「沐浴」と言いますが、本来「沐浴」とはからだを水で洗い清めることを指し、宗教的には、水が持っている「移行」と「融合」の象徴的意味、つまり、身体全体またはその一部を水に触れさせることにより、俗的状態(汚れ)から聖なる清浄な状態へ、あるいは、死の状態から生の状態へ移行させるものとして用いられます。


「赤ちゃん」はお母さんの胎内から生まれ出ると「水」で洗い清められ、無垢で汚れのない、尊い存在として在るのです。まさに「子は宝」なのです。


人間の「始まり」であり「水」によって洗い清められる「赤ちゃん」と、聖なる川の化身「サラスヴァティー」が仏教に取り込まれたかたちで「水」と強く結びつく「弁天様」。その間には、「水」、そして「慈母的愛」が介在しているといえるのではないでしょうか。


弁天様は「弁財天」と書いて商売繁盛・財福の神様としても信仰されていますが、弁天様が分け隔てなくあまねく人に財をもたらしてくれるものと解釈すべきではありません。 財を成すには、己の損得勘定だけで商売をするのではなく、相手や周囲にも気を配り、誠実さをもって商売に勤しむことが必要ではないでしょうか。


母が子に対して注ぐ無償の愛、すなわち慈母愛にも似た清い心をもって誠実に商売に勤しめば、自ずと福が来るということを、弁天様のお姿の中に読み取っていただければ幸いです。

弁天様の幸せ願いダルマ

清く正しく美しく

『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』の「大弁才天女品 第十五」が弁才天の本当のお経です。この最勝経は、国王たるものが最初に勉強するお経で、これを広め、また読誦して正しく国王が施政すれば、国は豊かになると言われていました。ですから、聖武天皇は『金光明最勝王経』を全国に配布し、また、741年(天平13年)には全国に国分寺を建立しています。


そのお経の内容とは。インドでは「水は人をつくる」と説いていて、水を神格化したものとも言われています。王たるものは「清く、正しく、美しく。」こういう心根でないといけない、ということなのです。



万感去来 

住職語り『面白島の山の四方山話』興味深々で、ああもしたい、こうもしたいと考えているうちに時間ばかり経ち、やっと半分を掲載できました。残りの半分は明日といたします・・・明日中に仕上がるかどうか不安が募ります・・・エェッ?~もう日付が変わっているぞ~、今日中なのか~⁉

流石にお伊勢さまへ老カラスのとんぼ返りは響いたようだ~(つい弱音を吐く)ー天皇皇后両陛下を見習え~ (そうでした深く反省)  

平成最期の今上陛下をひと目見んと沿道に参集した我々国民に手を振り、長時間の儀式を立ち通されたのだ・・・平成時代を全うされたお姿だった・・・ 

嗚呼平伏感謝 

そうそう、昨日の予言通り伊勢は最高の天気だった(ネタをばらすと、何てことはない天気予報通りだっただけだが…)。



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使



協力(順不同・敬称略)

竹生島 宝厳寺 〒526-0124 滋賀県長浜市早崎町1664−1TEL:0749-63-4410

善光寺 〒380-0851 長野県長野市長野元善町491ーイ TEL 026-239-3591

立命館大学アート・リサーチセンター
〒603-8577 京都市北区等持院北町56-1電話番号: 075-466-3411(代表番号)

公益社団法人長浜観光協会 〒526-8501 滋賀県長浜市八幡東町632 TEL.0749-65-6521

公益社団法人びわこビジターズビューロー
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ZIPANG-3 TOKIO 2020

2020年東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、神社仏閣、祭礼、伝統芸能、風習、匠の技の美、世界遺産、日本遺産、国宝等サイトを通じて平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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