はじめに 記事をお届けするに当たり、先の北海道における地震災害、関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
聖観音立像と弁才天の掛け軸
弁才天坐像
すべては、天照皇大神のお告げから
竹生島宝厳寺は、神亀元年聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より
江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。
すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう。
というお告げを受け、僧行基を勅使として遣わし、堂塔を開基させたのが始まりです。
宝厳寺探訪
竹生島宝厳寺には、国宝「唐門」や「法華経序品(じょほん)」※、
重要文化財である「観音堂」「石造五重塔」など、見どころがたくさんあります。
ここでは、その一部をご紹介いたします。
※「法華経序品」…現在は奈良国立博物館に寄託
宝厳寺探訪(唐門)
唐門(国宝)
『唐門』とは、唐破風をもつ門という意味です。
この『唐門』は、秀吉を祀った京都東山の豊国廟に建っていた『極楽門』を豊臣秀頼の命により片桐且元を普請奉行として移築されたものです。移築の際、土地の条件から観音堂に接して建てられています。桧皮葺、建物全体を総黒漆塗りとした上に金鍍金の飾金具が散りばめられ、虹梁中央の蟇股の周囲には鳳凰や松・兎・牡丹の彫刻を、二枚の大きな桟唐戸や壁には牡丹唐草の彫刻を極彩色塗りとして飾っています。豪華絢爛と言われた桃山様式の『唐門』の代表的遺構です。
文献としては、醍醐寺座主三宝院義演による日記『義演准后日記』に、大坂城の極楽橋が豊国神社に移築された旨の記述があり、また、豊国廟社僧の梵舜が『舜旧記』 にて、豊国極楽門を竹生島に寄進したとの記述を残しています。この二つの文献の記述により、大坂城の極楽橋が竹生島宝厳寺に移築されたことは間違いないでしょう。
さらに平成18年、オーストリアにあるエッゲンベルグ城にて『大坂城図屏風』が発見されました。その絵中には『極楽門』の前身であったと伝えられている大坂城の本丸北方に架けられていた『極楽橋』の姿が描かれており、その絵図から判断して、『唐門』こそが、秀吉が建てた幻の大坂城の唯一の遺構であろうと昨今注目を集めています。
宝厳寺探訪(観音堂・千手千眼観世音菩薩)
観音堂(重要文化財)
千手千眼観世音菩薩を納めた観音堂があります。西国三十三所の第三十番の札所で、重要文化財に指定されております。 このお堂は傾城地に建てられた掛造りで、皆様がお参りされておられる仏間は2階にあたります。天井裏にも昔の絵天井の名残が見て取れると思います。
千手千眼観世音菩薩
一般に「千手観音」と呼ばれますが、正しくは「千手千眼観世音菩薩(せんじゅせんげんかんぜおんぼさつ)」といいます。
「千手千眼」の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼を持つとされることに由来し、千本の手は、いかなる衆生も漏らさず見つけ、救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表しています。
竹生島宝厳寺に安置される千手千眼観世音菩薩像は、西国三十三所の第三十番札所、観音堂の御本尊であり、当山御本尊の弁天様と同じく、60年に一度だけ御開扉される秘仏です(次回の御開扉は2037年)。
秘仏ゆえ、御厨子の中に安置されていますが、等身大でつくられたと言われており、約1.8メートルの身の丈は御厨子の扉よりも大きく、それはすなわち、御厨子は菩薩像が安置された後、その周りを取り囲むようにして築造されたということを示しています。
御前立の菩薩像の背後にある御厨子の扉には左右に一つずつ、二つの菊の御紋が見られますが、その間、ちょうど御前立像の背後にあたる位置には五七桐紋が施されています。
宝厳寺探訪(本堂・弁才天)
本堂(弁才天堂)
本尊の大弁才天は、江ノ島・宮島と並ぶ「日本三弁才天」の一つで、その中で最も古くに建立された弁才天です。そのため、当山のみ「大」の字をつけ、大弁才天と称します。
この本尊は、開山時(七二四年)聖武天皇の勅命を受け、僧行基が開眼したものです。内陣の壁画は、荒井寛方画伯によるもので正面の壁画を「諸天神の図」、側面を「飛天の図」と呼びます。
弁才天(御前立像)
弁才天は七福神の一人として民衆の信仰を集めてきました。人の穢れを払い「富貴・名誉・福寿」「愛嬌縁結びの徳」「子孫」を恵む神です。また「音楽・智恵・財物」の神として吉祥天とともに広く信仰された女神ですが、もともとはインド古代信仰の水を司る神「サラスヴァティー神」で、それが仏教における守護神として取り入れられたのです。
インドでは「水」には汚れを洗い流す力があるというところから、人々の清き心(菩提心)を守る神として信仰を集め、修行者の守り神として祭られるようになりました。修行を助けるからこそ、芸道、商堂の守り神になったと言われています。
写真は前立の弁才天です。(秘仏のご本尊は60年に一回開帳、次回の開帳は西暦2037年となります)
※この写真はご分身です。ご本尊弁才天は秘仏につき写真掲載できません
宝厳寺探訪(舟廊下)
舟廊下(重要文化財)
千手千眼観世音菩薩を納めた観音堂から都久夫須麻神社に続く渡廊・舟廊下。 舟廊下は朝鮮出兵のおりに秀吉公のご座船として作られた日本丸の船櫓(ふなやぐら)を利用して作られたところから、その名がついています。 これも唐門、お御堂と同時期に桃山様式で作られたものです。
宝厳寺探訪(三重塔)
三重塔
三重の塔は本来、お釈迦様の遺灰を納めた仏舎利塔を形どったものです。平成12年5月、当寺では江戸時代初期に焼失したと言われている「三重塔」を、約350年ぶりに復元いたしました。
この塔は、古来の工法に基づいて建築されています。四本柱に32体の天部の神々を描き、また、四方の壁には真言宗の八人の高祖を配しています。
各柱や長押にはうんげん彩色や牡丹唐草紋様が描かれています。 これらの装飾は、昔ながらに岩絵の具を膠水で溶いて描いているため、耐久性に欠け剥落もしやすく、新しい色合いにて見ていただけるのもこの新築時しかないものであります。
また、この塔も以上の条件により普段は内部公開できないものであります。
宝厳寺探訪(五重石塔)
五重石塔(重要文化財)
五層の仏塔。地・水・火・風・空の五大をかたどったものといわれています。
高さ247cm。石材は滋賀郡の山中から採れる小松石です。 初重塔身には四仏が彫られています。初重以上の屋根はその上層軸部と一石彫成となり、上に相輪あげたての形式は鎌倉中期の石塔の特徴を示しています。
宝厳寺探訪(瑞祥水)
瑞祥水(ずいしょうすい)
この「瑞祥水」は御本尊大弁才天様の御託宣により平成十四年十一月に掘られた霊泉です。
折りしも、昭和六十二年頃よりの川鵜の異常繁殖によって緑樹は枯れ、山崖は崩れ、全島にわたって大きな被害を受けています。
これによって山の保水能力が下がり、湧水が枯れ果て参詣の皆様・寺内関係者の飲料水はもとより環境衛生の確保も困難という事態になっていたそうです。
そんな折、夢枕にここに井戸掘れとの御本尊様よりのお告げの声がであったそうです。
しかし、このような湖中の小島での井戸工事は前例が無く、また通常の井戸の観点より考えれば水が出る可能性は低いといわれています。
更に一枚岩盤の島なので、その工事さえも困難が予測されるという悪条件での工事でしたが、約1年の工期をかけ井戸を掘ったところ、深さ230メートル(湖底下約 130m)より御本尊様の御託宣どおり清浄水が出たのであります。
以来、ご参拝の皆様にお分けし、各方面より「おいしいお水です」「水によって健康になった」等のご報告を頂かれておられるそうです。
宝厳寺から「御参拝の皆々様の御健康をお祈りし、この瑞祥水を御飲用、又お持ち帰りくだされたく存じます。」とのお話です。
宝厳寺探訪(もちの木)
もちの木
この木は、1602年(慶長7年)、豊臣秀頼の命を受け、普請奉行の片桐且元が観音堂、唐門、渡廊下を移築したときに、記念にお手植えされたものです。
片桐且元は豊臣秀頼の後見役です。
賎ヶ岳合戦で七本槍の一人として名をあげ、秀吉のもとで検地・作業奉行として活躍されました。
その移築時の時代背景としまして、秀吉公亡き後に家康公により豊臣色を薄める政策がとられ、その一連の流れのなかで、豊国廟の縮小を余儀なくされました秀頼公は、その遺構を残すべく片桐且元に移築の命を与えたのであります。そのご縁で当寺にお手植えの木が残されております。
宝厳寺探訪(宝物殿)
「法華経序品(竹生島経)」(国宝)※現在は奈良国立博物館に寄託
宝物殿
竹生島・宝厳寺の宝物殿は、湖国における文化財の一大宝庫といわれ、当山に伝わる数々の寺宝を収蔵・保存・一般公開しています。
「法華経序品(竹生島経)」(国宝)や、弘法大師直筆「御請来目録表」(重要文化財)をはじめ、数々の宝物が収蔵されています。
※一部の収蔵品には現在、国立奈良博物館等に寄託されているものがあります。また、一部の収蔵品は、特別展等により他館へ出展されている場合があります。
宝厳寺探訪(雨宝堂)
雨宝堂
雨宝童子をお祀りしています。雨宝童子とは、神仏習合の両部神道における神で、天照皇大神が地上に降り立った時の姿(=化現/けげん)といわれています。
その姿は、頭上に五輪塔を掲げ、右手に宝棒、左手に宝珠を持つ童子として表されます。
宝厳寺探訪(納経所)
納経所
本来、「納経」とは、文字通り「経を納める所」であり、お参りした時に写経を納め、その「受け取り証」として納経帳や掛け軸などに朱印を授かることをいいますが、現在では、参拝した証として御朱印帳に朱印を授かることが一般的です。
当山においても、御本尊参拝の後、納経所にて御朱印拝受の申し込みを行ってください。
納経所にて拝受できる御朱印は、「大弁才天御朱印」(大弁天さまの御朱印)と「西国三十三所観音霊場 第三十番札所御朱印」(千手千眼観世音菩薩の御朱印)の二種類があります。
続く・・・
本号は、少し長くなってしまいました。その所為で、周辺の見どころのご紹介もできませんでした。最後までご高覧頂き御礼申し上げます。
この続きは次号にいたします。
独り言
三種の神器の内、剣と勾玉を携えられて
東京駅を出発される天皇・皇后両陛下
明日は、天皇・皇后両陛下として、最後の伊勢神宮への御行幸啓です。
現在伊勢神宮の祭主(伊勢神宮にのみ設けられているお役職)は、天皇家のご長女の黒田清子様なので、今夜はきっと私どもと同じように、親子水入らずで楽しいひと時をお過ごしになられているのでしょうね……
小生は明日朝一番で伊勢神宮へ一っ飛びです。
本日の名古屋は涙雨でしたが、きっと明日は晴れるに違いない・・・
神宮庁で提灯を千個用意されたそうですが、内宮に続く提灯行列が凄かったですね…
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
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