ZIPANG-3 TOKIO 2020 「『八坂神社』と 日本三大祭り『祇園祭』」

はじめに 記事をお届けするに当たり、この度の山形沖を震源地とする、地震災害で被災された方々、並びに前年の北海道・関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。


八坂神社南楼門

八坂神社  舞殿

祇園東歌舞会による舞踊奉納と豆まき。凄いカメラの数ですね~。


まもなく京都の夏の祭礼、八坂神社の祇園祭です。

関西は、G20大阪サミットで世界の首脳をお迎えし、次いで京都祇園祭には、世界の人々をおもてなしです。日本の三大祭りの一つ「祇園祭」が始まります。


祇園祭では、八坂神社をはじめ、氏子区域一帯で、7月1日の「吉府入」から31日の「疫神社夏越祭」までの1か月間、様々な神事や行事が執り行われます。


「コンチキチン♪」「コンチキチン♪」「コンチキチン♪」の鉦(かね)の音が京都市内の宵山や山鉾巡行の鉾の上から聞こえ始めると思い出すのは「東山三十六峰静かに眠り、賀茂の河原に千鳥鳴く、その静寂を破って・・・」、ご存知川田晴久の名調子。
「えっ、そう~ご存知ない?いつの時代の話かって・・・!」

神幸祭南門出発式

京都の暑い暑い~熱い~1か月に及ぶ日本の祭り「祇園祭」の幕開けです。


八坂神社とは

創祀

当社は慶応4年(1868)5月30日付の神衹官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していました。創祀については諸説ありますが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるといいます。

また、一説には貞観18年(876)南都の僧円如が建立、堂に薬師千手等の像を奉安、その年6月14日に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に垂迹したことに始まるともいいます。

伊利之来朝のこと、また素戔嗚尊が御子の五十猛神とともに新羅国の曽尸茂梨(そしもり)に降られたことは、ともに『日本書紀』に記されており、『新撰姓氏録』の「山城国諸蕃」の項には渡来人「八坂造(やさかのみやつこ)」について、その祖を「狛国人、之留川麻之意利佐(しるつまのおりさ)」と記してあります。


この「意利佐」と先に記した「伊利之」は同一人物と考えられています。伊利之の子孫は代々八坂造となるとともに、日置造(へきのみやつこ)・鳥井宿祢(とりいのすくね)・栄井宿祢(さかいのすくね)・吉井宿祢(よしいのすくね)・和造(やまとのみやつこ)・日置倉人(へきのくらびと)などとして近畿地方に繁栄しました。

天長6年(829)紀百継(きのももつぐ)は、山城国愛宕郡八坂郷丘一処を賜り、神の祭祀の地としました。これが感神院の始まりともされています。そして、八坂造の娘を妻とし、男子のなかった八坂造家の職を継承したといわれ、その後裔である行円(ぎょうえん)は、永保元年(1074)に感神院執行となり、以後子孫代々その職を継ぎ、明治維新による世襲制の廃止まで続きました。

八坂神社本殿(重要文化財) 


ご祭神

御本殿(十三座)

中御座 素戔嗚尊(すさのをのみこと)

東御座 櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)

御同座 神大市比売命(かむおおいちひめのみこと)・佐美良比売命(さみらひめのみこと)

西御座 八柱御子神(やはしらのみこがみ)

八島篠見神(やしまじぬみのかみ)

五十猛神(いたけるのかみ)

大屋比売神(おおやひめのかみ)

抓津比売神(つまつひめのかみ)

大年神(おおとしのかみ)

宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

大屋毘古神(おおやびこのかみ)

須勢理毘売命(すせりびめのみこと)

傍御座 稲田宮主須賀之八耳神(いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ)


素戔嗚尊(すさのをのみこと)

和歌神

『古事記』には素戔嗚尊が櫛稲田姫命と結婚の折、ようやく落ち着かれた心を「我が心すがすがし」といわれ、その後に、「八雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」と詠まれたことが記されています。


この歌はわが国最初の三十一文字の和歌とされており、紀貫之は『古今和歌集』仮名序に

ちはやぶる神世には 歌の文字も定まらず すなほにして 言(こと)の心わきがたかりけらし 人の世となりて すさのをの命よりぞ 三十文字(みそもじ)あまり一文字(ひともじ)はよみける

と記し、歌人たちは素戔嗚尊を歌聖と仰ぎ、当社には多くの和歌が奉納された。有名なものとしては元久元年(1204)に藤原俊成が奉納のために詠んだ『祇園百首』があります。

また、祇園の神の託宣歌としては、鎌倉時代後期の勅撰歌集『玉葉和歌集』に、

「わが宿に 千もとの桜 花さかば うゑおく人の 身もさかへなむ」、

鎌倉時代の仏教説話集『撰集抄』の「祇園示現」の項に、

「ながき世の くるしき事を 思へかし 仮のやどりを なになげくらん」がある。


祇園祭の概要

豪壮かつ華麗な祇園祭は、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼です。

祇園祭  神輿


古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。

祇園祭は、7月1日の「吉符入」にはじまり、31日の境内摂社「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事がくり広げられます。


蘇民将来子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)

八坂神社御祭神、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)が南海に旅をされた時、一夜の宿を請うたスサノヲノミコトを、蘇民将来は粟で作った食事で厚くもてなしました。蘇民将来の真心を喜ばれたスサノヲノミコトは、疫病流行の際「蘇民将来子孫也」と記した護符を持つ者は、疫病より免れしめると約束されました。

その故事にちなみ、祇園祭では、「蘇民将来子孫也」の護符を身につけて祭りに奉仕します。

また7月31日には、蘇民将来をお祀りする、八坂神社境内「疫神社」において「夏越祭」が行われ、「茅之輪守」(「蘇民将来子孫也」護符)と「粟餅」を社前で授与いたします。

このお祭をもって一ヶ月間の祇園祭も幕を閉じます。


祇園祭の由来

祇園祭は貞観年中(859~877)京の都に疫病が流行したとき、勅を奉じて神泉苑に66本の鉾を立てて祇園の神を迎えて祭り、洛中の男児が祇園社の神輿を神泉苑に送って厄災の除去を祈ったのに由来し、平安時代の中頃からは規模も大きくなり、空車、田楽、猿楽等も加わって盛んな賑わいを見せてきました。

室町時代になると町々の特色ある山鉾のあったことが『祇園社記』に記されています。応仁の乱(1467)で都は灰燼に帰し、祇園祭も中絶しましたが、明応9年(1500)には復活、その時より山鉾巡行の順位を決める鬮取式が侍所で行われることになりました。以後、町衆の努力により山鉾の装飾にも贅を尽くすようになり、近世には度々の火災で多数の山鉾が消失しましたが、その都度、町衆の心意気によって再興し、今日に至っています。



祇園祭の行事予定

日時  行事  内容説明  主催  場所

7月1日~5日 吉符入 各町に於いて祭礼奉仕の決定。神事の打ち合わせを行う。 各山鉾町 各山鉾町

1日

午前10時 長刀鉾町お千度 町内役員がその年の稚児・禿を伴い神事の無事を祈り、八坂神社に参拝。 長刀鉾町 八坂神社

2日

午前10時 鬮取式 17・24日の山鉾巡行の順位を決める為、各山鉾町代表者が参集し、市長立会のもと鬮をとる。 清々講社 市役所

2日

午前11時30分 山鉾連合会社参 各山鉾町代表者が、神事の無事を祈り八坂神社に参拝。 各山鉾町 八坂神社

7日

午後2時30分 綾傘鉾稚児社参 綾傘鉾の稚児が町内役員と共に神事の無事を祈り八坂神社に参拝。 綾傘鉾町 八坂神社

10日~13日 鉾建(前祭) 各鉾町それぞれに鉾の組立にかかる。 各鉾町 各鉾町

10日

午前10時 幣切 長刀鉾町の神事に必要な各種御幣を八坂神社の神職が奉製する。 長刀鉾町 長刀鉾町

10日

午前10時 神用水清祓式 神輿洗に使用する神事用の水を鴨川から汲み上げお祓いする。 宮本組 宮川(鴨川)堤

10日

午前11時 高橋町社参 町内役員が神事の無事斎行を祈り八坂神社に参拝。 高橋町 八坂神社

10日

午後4時30分

~9時 お迎提灯 万灯会員有志が提灯行列を整え清々館より所定のコースを経て本社に戻り、神輿洗の神輿を迎える。

コース:本社→河原町四条→市役所→寺町通→四条通→東大路→神幸道→本社 祇園万灯会 氏子区内

10日

午後8時 神輿洗式 午後6時奉告祭斎行後、神輿三基の内二基を舞殿に据え内一基(中御座)を舁き、列の前後に松明を点じ四条大橋に至り、四条大橋上で神輿を清める。午後8時30分頃本社に還って後三基の神輿を飾りつける。今夕より境内の吊提灯に火を入れる。 八坂神社

宮本組

清々講社 四条大橋

12日~13日 鉾曳初(前祭) 各鉾町の人々が囃子を奏しつつ夫々の町内のみ鉾を曳く。 各鉾町 各鉾町

12日~14日 山建(前祭) 各山町それぞれに山の組立にかかる。 各山町 各山町

13日~15日 舁初(前祭) 各山町の人々が夫々の町内のみ山を舁く。 各山町 各山町

13日

午前11時 長刀鉾稚児社参 鉾の町内には祭の稚児の当番が定められていたが、現在では長刀鉾以外では人形が用いられている。長刀鉾稚児は立烏帽子水干姿で従者を伴い騎馬にて八坂神社に詣でる。俗にお位もらいともいう。

17日の巡行迄、身を慎み、巡行当日は長刀鉾正面に乗り太平の舞を舞う。 長刀鉾町 八坂神社

13日

午後2時 久世稚児社参 17日神幸祭、24日の還幸祭に供奉する久世稚児(駒形稚児)の社参が行われる。 久世町 八坂神社

14日~16日

夕刻より 宵山(前祭) 各山鉾町にて山鉾を飾り、祇園囃子を奏でる。家宝什器、屏風等を美しく飾る家もあり、町内雑踏し祇園祭情緒が祇園囃子の音と共にもり上がる。 各山鉾町 各山鉾町

15日

午前4時30分 斎竹建 山鉾巡行当日には長刀鉾稚児が太刀にて斎竹に張られた注連縄をきる。 高橋町 四条麩屋町

15日

午前10時 生間流式庖丁 日本式庖丁道生間流に依る式庖丁が奉納される。 日本式庖丁道

生間流 八坂神社

15日

午後3時 伝統芸能奉納 祇園祭に各種の伝統芸能を奉納する。 日本伝統芸能団 八坂神社

15日

午後8時 宵宮祭 境内の灯を消し浄闇の内に舞殿に奉安の神輿に御神霊を遷し奉る。 八坂神社 八坂神社

16日

午前9時 献茶祭 表千家・裏千家家元が隔年での奉仕。

拝服席及び副席・協賛席が設けられる。 祇園祭献茶会 八坂神社

16日

午前9時 豊園泉正寺榊建 古来、各町内の榊奉斎行列が全神輿に供奉した記録があり、現存する一つである。平成4年7月から神輿の神幸列を前行する形で、中御座神輿の前を供奉することになった。 豊園泉正寺

榊奉賛会 東洞院仏光寺

東入ル

16日

午後6時30分 石見神楽 素戔嗚尊が八岐の大蛇を退治し天の村雲の剣を得る舞が奉納される。 京都島根県人会

島根奉賛会 八坂神社

16日

夕刻より 宵宮神賑

奉納行事 石段下四条通に於いて各種芸能奉納行事が行われる。 八坂神社 八坂神社

石段下

16日

午後11時 日和神楽 翌日の山鉾巡行の晴天を祈念し、各山鉾町の囃子方が町家から四条御旅所の間を往復する間、祇園囃子を奏する。長刀鉾は所定のコースを通り八坂神社にて囃子を奉納する。 各山鉾町 御旅所

八坂神社

17日~21日 山・鉾建

(後祭) 各山鉾町それぞれに山・鉾の組立にかかる。 各山鉾町 各山鉾町

17日

午前9時 山鉾巡行

(前祭) 長刀鉾を先頭に前祭の鉾九基、山十四基が各町を出発し祇園囃子も賑やかに所定のコースを巡行。 祇園祭山鉾

連合会 氏子区内

鬮改 鬮取式に於いて決定した山鉾巡行順位に従い巡行が行われているかを大紋烏帽子着用の奉行(市長)が改める。 清々講社 四条堺町

17日

午後4時 神幸祭 神輿渡御に先立ち本殿にて祭典が行われる。 八坂神社 八坂神社

17日

午後6時 神輿渡御出発式 神輿渡御出発にあたり、石段下にて三基の神輿の差上げが行われる。

その後氏子区域を夫々所定のコースに従い渡御する。

また古例により久世稚児の供奉、宮本組神宝列の供奉がある。

午後9時頃より相次いで四条御旅所に着輿し、後24日迄奉安される。 八坂神社 八坂神社

石段下

~四条御旅所

20日~21日 鉾曳初

山舁初 鉾町の人々は囃子を奏しつつ町内のみ鉾を曳き、各山町の人々は、夫々の町内のみ山を舁く。 各山鉾町 各山鉾町

20日

午後3時 宣状式 花傘巡行に奉仕の馬長稚児、児武者の宣状が交付される。 祇園祭花傘

連合会 八坂神社

21日~23日

夕刻より 宵山(後祭) 14日~16日と同じ。 各山鉾町 各山鉾町

23日

午前9時 煎茶献茶祭 在洛の煎茶道家元の輪番奉仕に依り行われ、祭典後には常磐殿及び常磐新殿に於いて拝服席・副席が設けられる。 八坂神社煎茶会 八坂神社

23日

午後1時 琵琶奉納 琵琶協会の人々により、琵琶の奉納が行われる。 京都琵琶協会 八坂神社

能舞台

23日

午後2時 オハケ清祓式 八坂神社又旅社に於いて還幸祭の神事斎行を控え「オハケ」と称し四隅に斎竹をたてた巾7尺奥行2尺の芝に、3本の御幣がたてられる。 八坂神社 八坂神社

又旅社

23日

午後10時頃 日和神楽 翌日の山鉾巡行の晴天を祈念し、各山鉾町の囃子方が町家から四条御旅所の間を往復する間、祇園囃子を奏する。 各山鉾町 御旅所

24日

午前9時30分 山鉾巡行

(後祭) 橋弁慶山を先頭に後祭の鉾一基、山九基が各町を出て烏丸御池に集結、祇園囃子も賑やかに所定のコースを巡行。 祇園祭山鉾連合会 氏子区内

鬮改 17日山鉾巡行(前祭)と同じ。 清々講社 京都市役所

24日

午前10時 花傘巡行 傘鉾十余基・馬長稚児・児武者等列を整えて、所定のコースを巡行。

本社到着後(正午頃)舞踊などの奉納を行う。 祇園祭花傘

連合会 石段下

市役所前

八坂神社

24日

午後11時頃 還幸祭 午後5時頃四条御旅所を三基の神輿が出発。夫々所定のコースを経て八坂神社又旅社にて祭典後、神輿に灯を入れ午後9時~11時の間に本社に還幸。御神霊を本社に還し祭典執行。久世稚児他供奉は神幸祭に同じ。 八坂神社 四条御旅所

~八坂神社

25日

午前11時 狂言奉納 茂山忠三郎社中の人々に依り行われる。 茂山社中 八坂神社

28日

午前10時 神用水清祓式 10日に同じ 宮本組 宮川(鴨川)堤

28日

午後8時 神輿洗式 10日に同じ 八坂神社

宮本組 清々講社 四条大橋

29日

午後4時 神事済奉告祭 祇園祭の終了を奉告し神恩を感謝する 宮本組 八坂神社

31日

午前10時 疫神社夏越祭 素戔嗚尊が南海に旅をされた時、疫神社の御祭神蘇民将来に手厚くもてなされたことを喜ばれ、疫病流行の際、蘇民将来之子孫は疫病より免れしめると誓約された故事により鳥居に大茅輪を設け、参拝者は之をくぐって厄気を祓い、又「蘇民将来之子孫也」の護符を授かる。 八坂神社 境内疫神社


八坂神社と祇園祭についてより詳しくご覧いただけます。下記リンク先からどうぞ。



ZIPANG TOKIO 2020「~四神相応の京~  八坂神社と古都の町並み(その壱)」


ZIPANG TOKIO 2020「八坂神社の祇園祭は平安66ヶ国にちなみ66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、神輿を送って災厄の除去を祈ったことに始まる(その弐)」




鎹八咫烏  記
伊勢「斎宮」明和町観光大使



協力(順不同・敬称略)

八坂神社〒605-0073 京都府京都市東山区祇園町北側625電話: 075-561-6155

文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111



※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。







ZIPANG-3 TOKIO 2020

2020年東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、神社仏閣、祭礼、伝統芸能、風習、匠の技の美、世界遺産、日本遺産、国宝等サイトを通じて平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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