はじめに 記事をお届けするに当たり、この度の山形沖を震源地とする、地震災害で被災された方々、並びに前年の北海道・関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
今帰仁村 今泊のフクギ屋敷林及集落景観
(なきじんそん いまどまり)と読みます。
今泊集落は、豊かなフクギ並木の屋敷林が残る集落であり、馬場跡など歴史的資源も多く有します。また、今帰仁城跡のふもとに位置することから、今帰仁城跡からの眺望の対象となる集落でもあります。
今帰仁村フクギ屋敷林とのことですが、フクギばかりで一体家は何処にあるのでしょうか?
フクギが立派な天然の門となっています。家はフクギに守られてその奥に!
したがって、豊かなフクギ並木屋敷林や、伝統的な地割を保全し、建築物や工作物はフクギ並木の高さを越えない高さを基本とします。さらに集落内道路については、排水溝の設置の仕方や、海を守るための下水処理対策を検討し、フクギに囲まれたのどかな集落道として相応しい道路景観の形成を図っています。
また、今帰仁城跡からの眺望に配慮し、大規模な屋根や派手な色彩の建築物など眺望に影響を与えるようなものは避けるよう努めています。
今帰仁村(なきじんそん)の眺め。奥に見えるのは、碧い海にかかる古宇利大橋
古宇利大橋(こうりおおはし)は沖縄本島北部・今帰仁村の古宇利島と屋我地島(やがじしま)を結ぶ全長1,960メートルの橋です。車で行ける離島として人気の観光地で、古宇利島周辺の海は、沖縄本島の中でも屈指の水の透明度を誇ります。橋の上は海の上を歩くようで気分爽快!島の海辺から眺める夕日は兎に角・・・絶景です!
琉球の歴史と今帰仁城(なきじんじょう)
琉球列島は日本列島南端に位置します。14世紀中頃には三王国(北山ほくざん、中山ちゅうざん、南山なんざん)が分立していましたが、15世紀前半にこれらを統一して琉球王国が成立しました。中国・朝鮮・日本・東南アジア諸国との広域の交易を経済的な基盤とし、当時の日本の文化とは異なった国際色豊かな独特の文化が形成されました。その特色を如実に反映している文化遺産が城(グスク)です。
今帰仁城・座喜味城・勝連城・中城城は、いずれも三国鼎立期から琉球王国成立期にかけて築かれた城であり、首里城は琉球王がその居所と統治機関を設置するために築いたものです。
これらの城壁は、主として珊瑚石灰岩により造営されており、曲面を多用した琉球独自の特色を備えています。(但し今帰仁城以外の城壁は、珊瑚の石灰質が堆積してできた比較的加工のしやすい琉球石灰岩で築かれているのに対し、今帰仁城は敷地内から採れた古生代石灰岩と呼ばれる堅い石が使われています。中国の影響と思われ、日本の城より300年以上も前に石を使った城壁がつくられています。)
さらに、王室関係の遺跡として円覚寺跡、玉陵、識名園(別邸)が残り、王国文化をうかがうことができます。
今帰仁城跡(大隅城壁)
今帰仁城跡(なきじんじょうあと)今帰仁村
標高100メートルの古期石灰岩丘陵に築かれた三山鼎立時の北山王統の居城です。
築城は13世紀末頃に始まり、14世紀前半~15世紀初期にほぼ現在の形に整備されたとされます。グスクは6つの郭から成り、総長1500メートル、高さは最も高い所で8メートルもあり、城全体の規模としては首里城に次ぐ大きさです。
城壁は、地形を巧みに利用しながら野面積み※で屏風状に築かれています。
城内には、基壇構築による建物遺構や琉球の神話と関係の深いグスクの守護神を祀った御嶽があります。難攻不落の城(グスク)でしたが、部下の謀反などもあり、1416年に首里城を拠点とする中山軍によって滅ぼされました。
落城後は、王府から派遣された北山監守の居城となり、監守制度は1665年まで続きました。
※野面積み
石の自然な形を利用して積み上げる「野面(のづら)積み」と呼ばれる最も古い技法。
今帰仁村 今泊のフクギ屋敷林及集落景観について
文化的景観の保存状況と基本方針
「今帰仁村 今泊のフクギ屋敷林及び 集落景観 」 は、各屋敷をフクギ で仕切った 屋敷林の集落景観が保たれ、今帰仁城下から集落(今帰仁ムラと親泊ムラ)移動の歴史に由来する集落形態と民俗文化が色濃く残されています。
また、「 今帰仁村今泊のフクギ 屋敷林及び集落景観 」 の価値を踏まえ、成り立ちやそれを支えてきた構成要素を良好な状態で継承することを目的とした基本方針を定めています 。
特に 、保存計画対象範囲の景観の 保全活用 を図るために、次の5項目を基本方針として定めています。
■保存活用の基本方針
① 集落形態の維持及び 、 フクギ 屋敷林の保存・修復に努める
② 沖縄の風水地理に基づいて形成された土地利用の維持に努める
③ 文化的景観の歴史・文化について 、積極的な普及啓発に努める
④ 祭祀空間及び 、祭祀・年中行事の保存継承に努める
⑤ 整備 ・ 活用は、住民 ・ 事業者 ・ 行政の連携により実施する
重要 文化的景観の特性
「今帰仁村今泊のフクギ屋敷林及び集落景観」は、各屋敷をフクギで仕切った屋敷林の集落景観が保たれ、今帰仁城下から集落(今帰仁ムラと親泊ムラ)移動の歴史に由来する集落形態と民俗文化が色濃く残され、人々の生活及び、この地の風土によって形成されたかけがえのない価値を有する文化的景観です。
(1)今泊の自然
今泊の人々は、17 世紀前半頃までに現在地へ集落を移して以来、集落全体の土地利用配置を大きく改変することもなく、集落を取り巻く自然環境とうまく付き合いながら生活を営んできました。
今帰仁村の南側には、本部半島中央部の連山の一画を形成している乙羽岳(標高275.4m)、西側には熱帯カルスト地形が広がっています。また、クバの御嶽周辺で見られる円錐カルストは、亜熱帯から熱帯地域によく発達しており、世界最北端の地域となっています。なお、中生代の古い石灰岩に円錐カルストが形成される例が少ないことも併せ、極めて重要な地形です。
今帰仁村フクギ屋敷林を抜けると、そこはもう海。容赦なく海風が吹きこむ・・・
しっかりとしたフクギの深緑の葉も堪らず落葉。
今泊は集落の北側にある海浜と接していることから北風が強い場所です。
集落内の各屋敷は、強く冷たい北風を背に受けるように南向きに配置されています。また、多くの屋敷が熱帯アジア原産のフクギで仕切られるなど、自然的特性に対応したフクギ屋敷林の集落景観が現在でも残されています。
今帰仁村の北側の海岸部では、サンゴ礁が発達し、干潮時に干出する干瀬(リーフ)及び、その内側に水深1~3m程度のイノー(礁池)が豊かな海域の景観を形成しています。
字今泊の海岸は、東側にクビリ浜、西側にシバンティナ浜、北側には集落と隣接した形で東西に延びるシル浜があります。シル浜に平行して、沖合には干瀬が東西に長く延びており、シル浜から約600m離れた場所にあります。
干瀬から浜までの間はイノーが広がり、サンゴをはじめ様々な海の生物の棲息地となっています。また、海の美しさを出していると同時に、魚や貝などを採取する地元の人たちの生活の場にもなっています。
(2)今泊の歴史
琉球に統一王国が樹立される直前、 三つの小国家が並立していた三山時代、
そのうちの 山北 を治めた山北王の居城であった今帰仁城は、三山統一や薩摩による琉球侵攻を経て廃城とな る が、城跡内には多くの拝所が残され、祭祀空間となってい ます 。
ハンタ道(パンタ道)
また、 今帰仁城へ物資等を運ぶために利用されていたハンタ道(パンタ道)は、散策路として活用され、現在でもその姿を残してい ます 。 なお 、今帰仁城跡は 2000 年に世界遺産 『琉球王国のグスク及び関連遺産群』の一資産 として登録されました。
ハサギンクヮー(シマウイミ)
もともと今帰仁城北側一帯にあった今帰仁ムラと親泊ムラが17 世紀前半頃までに 移動してできたのが 現在の今泊集落で す 。 両ムラの集落移動に伴い、今帰仁ムラ の 神人が祭祀の際 に使用したハサギンクヮーと呼ばれる神ハサギと 、親泊ムラの神ハサギのフプハサギも現在の地に移され 、明治36年の集落合併、39年の分離、昭和47年の再合併を経て、今泊集落には二つの神ハサギ※が存在しています 。
また、 当時集落内に掘られた井戸は 、水道の普及によ って、 利用されなくなった現在でも集落内のいたるところにその原形を留め一部は、祭祀空間の役割も持 っています 。
※神ハサギ
神ハサギ 村指定文化財の神ハサギ(崎山)
神アサギは、本村ではハサギとも呼ばれています。ムラ(字)の祭祀において、神人たちが神を招請して祭祀を行う場所で、かつてはその多くが茅葺きで軒の低いものでした。
現在は、ほとんどの神アサギが赤瓦やセメント瓦となっていますが、崎山の神ハサギは茅葺き屋根が石柱で支えられている古い形状を残しており、貴重な文化財として、平成15年(2003 年)に村指定の有形民俗文化財に指定されています。
(3)今泊の集落構成
移動後の集落は、村抱護 ・ 浜抱護という風水地理の考えが取り入れられ、屈曲した道路線形や食い違いのある交差点、南向きの家屋配置など、琉球国時代に発展した独特の風水地理を色濃く残しています 。
また、集落内の特徴ある景観を形成しているフクギ 屋敷林は、風水地理※の考えに基づ い て、1730年代以降に計画的に植栽されたものです。 また 、屋敷抱護のフクギには、屋敷の中に悪い気が入るのを防ぎ、屋敷の外に良い気が逃げるのを防ぐ役割があり、防風 や 防潮、防火 等 の防災機能も含め、人工的に植栽されたと考えられます 。
※風水の基本は「背山得水」。北に山を背に、南は川に面しているところが良い。
1に山、2に水、3は方位。農村では良い土地(吉地)を求めて移動する依拠慣習もあったそうですよ。
(4)今泊の生業と生活、祭祀、伝統芸能
親川(北西から)
志慶真川(河口より)
円錐カルストが広がる山地と集落の間には、かつて、今帰仁上りや年中祭祀の拝所となっている親川(エーガー)や 志慶真川から水を引き水田が、水田が広がっていましたが、社会状況の変化等によって、サトウキビ畑等へと転換を図りながら農地として土地利用が続いています。
海神祭(ウブウイミ)シバンティナ浜で海神様を迎えるノロの祈り
海岸部は、イノーと呼ばれる浅瀬の海域が広がり、干潮時には釣りや潮干狩りなどの漁労活動が行われる場です。 また 、集落の西側に位置するシバンティナ浜は、海神祭(ウプウイミ)の際に不浄なものを海に押し流す場で、年中祭祀との関係性が深い浜です。
クバの御嶽
今帰仁城跡の西にある古生代~中生代の石灰岩からなる丘陵。琉球の時代から続く聖地で、地元ではウガーミと呼ばれる神域です。
円錐カルストが広がる山地には、琉球七御嶽の一つであるクバの御嶽があり、年中祭祀の拝所となっています。 現在も今泊集落では、沖縄固有の信仰に基づく年中祭祀が多く継承されて います。 祭祀は、集落の祭祀を司る女性神役である今帰仁ノロを中心に 、御嶽や拝所で 執り行われています。
大道(豊年祭での棒術)
集落の祭祀行事は、 無病息災や五穀豊穣、海上安全祈願など、日々の生活と深い関わりがあり、山地から今帰仁城跡内、集落内、海岸まで地域全体を祭祀空間としています。 豊作の感謝と集落の繁栄を願う豊年祭も集落内の拝所等で御願や奉納演舞 、伝統芸能が催され、これら年中祭祀等が地域コミュニティを結びつける大切な役割を担ってい ます 。
文化的景観保存計画
今帰仁村今泊は、自然的特性に対応したフクギ 屋敷林及び 集落景観が保たれ、今帰仁城下からの集落移動の歴史に由来する集落形態と民俗文化が色濃く残された文化的景観を形成しています。今泊の調査によ って、 明らかになった 文化的景観の価値を将来にわたって継承するために、適切な保存と活用を図るための方針・体制を定め 、保存計画策定を実施。
(1)保存対象範囲(重要文化的景観の選定申出範囲)
文化的景観の範囲は、かつて、今泊の人々の生活・生業の場となっていた山地から集落北側に位置する海岸部 や 、今泊集落との関係性が深い今帰仁城跡及び 、 城跡の前面に位置していた「今帰仁ムラ 跡 」と「親泊ムラ 跡 」を含む集落移動とその背景となる歴史的変遷が理解できる領域を包括する範囲(大字今泊全域)です。
更に、現在まで継承され、地域 コミュニティを結びつける年中祭祀の拝所等を含む祭祀空間の領域が重層的に絡み合うことで文化的景観の価値が認識されるため、これらの領域も範囲となりました。
(2)現在と未来 整備・活用構想
文化的景観の価値を守り、未来へ 伝えることを基本に 重要な構成要素の修理・修景等の整備を行います。特に、フクギ 屋敷林や祭祀・年中行事については、文化的景観の象徴的な構成要素であることから、住民の意識醸成を図りながら積極的な保全に努めます。また、文化的景観の価値を村内外に普及啓発するために 、ガイドの養成や見学コースの設定、案内サインの整備、リーフレットの作成に取り組むなど、文化的景観の情報発信を行います。
(3)今後の運営体制
今帰仁村教育委員会は、フクギ屋敷林の保全に関する団体や祭祀・年中行事の継承に関する団体等の 地域住民を主体とした活動団体の組織化等や 、 有識者等で組織する仮称文化的景観整備検討委員会との連携体制を確立します。また、技術的・人的・財政的支援など、地域主体で様々な活動ができるように文化的景観の継承のために様々な支援を行います 。
文化的景観の 所在地及び面積
所在地 沖縄県国頭郡今帰仁村大字今泊の全域
全域面積 694.9 ha
編集後記
沖縄の思い出・・・沖縄料理(えっ!風土環境デザインの間違いでは?)
小生が沖縄本島の本部(もとぶ)半島を訪れたのは、はっきりと思い出せない位前のことですが・・・用件は、当時大変に評判だった名護の市庁舎の建築を見学するためでした。
「2段階・公開設計競技」が行われ、第1次段階で全国より308案もの応募があり、このうちから5案を選出して2段階目の競技を行った結果、Team Zoo (象設計集団+アトリエ・モビル)の設計案が入選と決定。
設計の条件としては、敷地の立地条件、気象条件を生かすことはもちろん、省資源、省エネルギーを考慮し、大規模な空調方式に頼らないこと、地場材料・地元の施工技術を使いこなすこと、社会的弱者への配慮を行うこと、などが要求され、これに添って昭和55年1月実施設計案が作成された。(特にエアコンは使用しないプランという点に興味を惹かれたからだった)
庁舎は、市政施行10周年の記念事業として、昭和55年3月に着工、昭和56年4月に竣工した。市民の長年の念願であった市庁舎が、地域の風土的特性を十分に盛り込んで、沖縄県名護市にできあがったので、宿と沖縄名物の食事は手配しておくので来られませんかとの地元のインテリア・建築関係者からお誘いを受け、ついつい沖縄料理につられて二つ返事で出かけたものでした。(勿論、名護市庁舎の建築を拝見したかったんですよ~何、そうは感じられないって!)
当時のそば屋を探しましたが見つかりませんでした。そらそうだ、30数年まえだから⁉
代わりに(失礼)地元の方推薦、今評判の「今帰仁そば」をご紹介します。
味も雰囲気も最高ですよ。是非お立ち寄りください。
住所は905-0426 沖縄県国頭郡今帰仁村字諸志181
営業時間11:30〜15:00(※売り切れ次第終了) 定休日 火曜日・第4水曜
ソーキそば、ゴーヤチャンプルー、グルクンの唐揚げ、ラフテー(バラ肉の角煮)、ヒージャー(ヤギ)の刺身とヤギ汁、アメリカ人オーナーの分厚いステーキ、ビールは勿論オリオンビール。最後はジューシー(雑炊)を頂き、バナナのコーヒーを飲んだことだけは何年たってもしっかりと忘れず覚えています。流石に本場で食べる味は何倍も美味しい・・・
ただ、一品だけは一口食べて残してしまいました。きっと酒の強い人には絶品だと思いますが…。皆さんも沖縄・今帰仁に行かれたら是非、試してみて下さい。
それは、「豆腐よう」です。
ジーマーミ豆腐は風味豊かで食べることが出来たのですが、「豆腐よう」だけはお手上げでした。伝統的な琉球料理の保存食。発酵食品で豆腐を泡盛と何かと?漬け込んだものだそうです。(近江の鮒寿司を思い出させる)
それでも今度はもう一度チャレンジしてみようかな⁉(ところで建築はどうなったんだ~‼)
肝心なことを忘れるところでした。その時に、今帰仁城跡と今回のテーマのフクギ屋敷林拝見してきましたよ。名護まで行って目と鼻の先の今帰仁村に寄らないわけないでしょ~
まず一番に感心したことはと言えば、屋敷林として沢山の樹種の中からフクギが選ばれたことでした。
しかも、長い年月に渡り維持・管理されていたということは、それだけ厳しい気象条件下で、遥か遠い昔から受け継がれた経験と知恵の集積だったのでしょう。
西海岸(月の浜・万座…)や読谷、残波岬、オクマ、渡嘉敷も素晴らしいけれど次には是非、今帰仁村がお勧めです。ビーチは自然海浜なので午後の引き潮でも楽しめるところがまた、いいものなんです!
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
今帰仁村役場
沖縄県今帰仁村教育委員会 社会教育課 今帰仁村歴史文化センター
〒 905 - 0428 沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊 5110番地 TEL : 0980-56-3201
一般社団法人 今帰仁村観光協会〒905-0401 沖縄県国頭郡今帰仁村仲宗根230-2
今帰仁村コミュニティセンター1F TEL:0980-56-1057
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111
(株)象設計集団 〒201-0002 東京都狛江市東野川1丁目12−7 電話: 03-5761-4467
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
0コメント