ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~世界文化遺産 今帰仁城跡~ 「聞こえ今帰仁 百曲がり積み上げて 珈玻羅寄せ御ぐすくげらへ 鳴響む今帰仁(1)」

はじめに 記事をお届けするに当たり、この度の山形沖を震源地とする、地震災害で被災された方々、並びに前年の北海道・関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。


今帰仁城跡(大隅城壁)

今帰仁城跡(平郎門)堅牢な門の石組。王と王妃の当時の艶やかな服装にも注目!

ドイツの城塞都市ローテンブルグ?万里の頂上?はて… あの曲線はガウディの蛇をモチーフにしたグエル公園・破砕タイルのベンチかな?? 正解➞

今帰仁城跡(大隅城壁)


琉球の古謡集は、今帰仁のことを、このように詠っています。


聞こえ今帰仁(きこえみやきせん) 
「名高い今帰仁城は」


百曲がり 積み上げて(ももまがり つみあげて)
「曲折した(曲線美の)城壁を積み上げて」


珈玻羅寄せ御ぐすく げらへ(かはらよせおんぐすく げらへ)
「玉のような石が寄せられ、城(グスク)が築城された」


鳴響む今帰仁(とよむみやきせん)
「名高く鳴り響く今帰仁よ」


※昔、今帰仁は『みやきせん』と呼ばれていました。


琉球列島は日本列島南端に位置します。14世紀中頃には三王国が分立していましたが、15世紀前半にこれらを統一して琉球王国が成立しました。中国・朝鮮・日本・東南アジア諸国との広域の交易を経済的な基盤とし、当時の日本の文化とは異なった国際色豊かな独特の文化が形成されました。その特色を如実に反映している文化遺産が城(グスク)です。


今帰仁城・座喜味城・勝連城・中城城は、いずれも三国鼎立期から琉球王国成立期にかけて築かれた城であり、首里城は琉球王がその居所と統治機関を設置するために築いたものです。これらの城壁は、主として珊瑚石灰岩により造営されており、曲面を多用した琉球独自の特色を備えています。さらに、王室関係の遺跡として円覚寺跡、玉陵、識名園(別邸)が残り、王国文化をうかがうことができます。


今帰仁城跡とは

今帰仁城(別名北山城)は、琉球が中山に統一される前の「三山鼎立時代」には山北(北山)王の居城とし、また中山が三山を統一後には琉球王府から派遣された監守という役人の居城でした。

外郭を含めると7つの郭からなり、その面積は首里城とほぼ同規模で、城を囲む石垣は地形を巧みに利用し曲線を描き、城壁のディテールは美しく、沖縄屈指の名城です。

2000年12月に開催された第24回世界遺産委員会で、座喜味城跡(ざきみじょうあと)、勝連城跡(かつれんじょうあと)、中城城跡(なかぐすくじょうあと)、首里城跡(しゅりじょうあと)、園比屋武御嶽石門(そのひやんうたきいしもん)、玉陵(たまうどぅん)、識名園(しきなえん)、斎場御嶽(せいふぁうたき)と共に本村の今帰仁城跡(なきじんじょうあと)の九つの資産が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産リストに登録されました。


また、平成18年には公益財団法人日本城郭協会により、日本100名城にも選定されました。これは優れた文化財・史跡であること。
著名な歴史の舞台であること。時代・地域の代表であることを証明するものであります。


世界遺産リストヘの登録にあたっては、各資産が個別に評価されたのではなく、9資産全体が物語っている琉球の歴史や文化の特質が評価されました。『琉球王国のグスク及び関連遺産群』という名称で、全体がひとつの文化遺産として登録されていることがそれをよく表しています。九つの資産は琉球全体の代表なのです。


世界文化遺産 今帰仁城跡では、専任のガイドさんが詳しく説明してくれます。(要予約)


今帰仁城跡の歴史

三大勢力が争ったグスク時代

14世紀の中国の史書に琉球国山北王「怕尼芝はにじ」「珉みん」「攀安知はんあんち」の三王が登場します。この頃の沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配した「三山鼎立の時代」でした。北山王は今帰仁城を拠点に沖縄島の北部を中心に支配下とし、中国と貿易をしていました。しかし1416年(1422年説もある)に中山の尚巴志によって滅ぼされ、北山としての歴史の幕を閉じることになります。


今帰仁城跡とは

今帰仁城跡とは、沖縄本島の北部、本部半島にある歴史的なグスクです。
世界遺産にも登録されたグスクは、沖縄県の県庁所在地である那覇市から車で約1時間30分の距離にあります。



長い石段ですが、所々に踊り場があるのでご年配の方は無理をしないで周囲の花や木や景色を眺めながら、休み休み登られることをお勧めいたします。


今帰仁城跡の歴史は古く、13世紀までさかのぼるとされています。
堅牢な城壁に囲まれたその城は、標高約100メートルに位置し、やんばるの地を守る要の城でした。


攀安知(はんあんち)時代に、中山軍(ちゅうざんぐん)に滅ぼされてからは、監守(かんしゅ)が派遣されるようになり、1665年に最後の監守が引き上げてからは、祭りを執り行う場所として残されました。

今帰仁城の王様と王妃様がお出向へ。VIPでも来られるの?いやいやアナタ様をお待ちなんですよ~


編集後記

以前のお出迎えは、闘牛だったか?品評会だったかな?、毎年横綱を張っていた立派な体格の豪華な化粧まわしの如何にも強そうな牛の大横綱でした。現在は、王様と王妃様自らおもてなしです。

それにしても、琉球時代の威厳の中にも絢爛豪華な伝統衣裳を拝見出来るのは嬉しいですね!

そういえば、名古屋城は織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公がおもてなしです。
世が世ならば・・・時代は変わりました。(時代は螺旋状に回るんじゃなかったかな?・・・)


金沢の和服で古い町並み散歩みたいに、貸衣装で記念撮影なんてのもあるんでしょうか?
 (ご自分で検索して無ければ提案して下さい!)

加えて、余計なお世話ですが、男は今帰仁城王様認定証、女は王妃様認定証、記念品は特別ピンバッチなんてのも…


そうだ!大分の豊後高田の六郷満山の特別御朱印は大人気でしたよ。
グスク(城)それぞれがオリジナル御朱印のようなロゴマークはどうかな〜?


オリンピック・パラリンピックみたいにロゴマークをコンペで公募する案は如何?…今帰仁ならではのオリジナリティを!? ・・・(ハイッ! そうですね〜自戒を含めて…)


続く・・・



鎹八咫烏  記
伊勢「斎宮」明和町観光大使



協力(順不同・敬称略)

今帰仁村役場
沖縄県今帰仁村教育委員会 社会教育課 今帰仁村歴史文化センター
〒 905 - 0428 沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊 5110番地 TEL : 0980-56-3201

一般社団法人 今帰仁村観光協会〒905-0401 沖縄県国頭郡今帰仁村仲宗根230-2
今帰仁村コミュニティセンター1F TEL:0980-56-1057

文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111



※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



ZIPANG-3 TOKIO 2020

2020年東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、神社仏閣、祭礼、伝統芸能、風習、匠の技の美、世界遺産、日本遺産、国宝等サイトを通じて平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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