はじめに 記事をお届けするに当たり、この度の九州豪雨と山形沖の地震災害、並びに近年の北海道・関西地方、並びに中国四国・九州地方他、多くの大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
姥神(うばがみ)とは
姥神の定義の説明の前にまず、奪衣婆の説明をさせていただきたい。
奪衣婆とは、死後にあの世へ渡るための三途の川の岸辺にいて、亡者の衣を脱がせる存在である。なぜ脱がせるのかと言うと、その衣を衣領樹(えりょうじゅ)と呼ばれる木の枝にかけるためである。そうすると生前の罪の大きい者は枝が大きく下がり、小さい者はほとんど動かない。亡者の罪はその衣に重さとなって染み込んでいることになる。衣領樹は罪を量るはかりであり、それを審査するのが奪衣婆である。
壮大な蔵王お釜の風景
熊野岳山頂の役小角像
中央高原に祀られている蔵王権現ブロンズ像
山形県蔵王連峰
山形、宮城にまたがる蔵王連峰は日本100名山にも選定され、標高1,841mの熊野岳を主峰とした山々です。トレッキングのほか、スキーや温泉などが楽しめる観光スポットとなっています。
中でも「お釜」は、美しくも迫力あるその壮大な景色が非常にオススメです。また、冬にはライトアップされた樹氷の景色が人気を博しています。
蔵王の名前は、690年に役小角が吉野の金峰山寺から金剛蔵王大権現を勧請し、修験道の場となり、蔵王山と呼ばれるようになりました。これを受け、ドッコ沼の近く、中央高原に蔵王権現のブロンズ像が祀られています。また、熊野岳頂上に役小角像も祀られています。
また、樹氷が見られる地蔵岳にある巨大な地蔵尊像は、安永4(1775)年に造られたものです。残念ですが現在、樹氷をつくるアオモリトドマツが枯れてしまい、いつまで樹氷が見られるかわからない状態になってしまっています。
地蔵岳の巨大地蔵尊
祓川の姥神像
祓川の姥神像
蔵王登山道、祓川コースの途中、滝の流れる場所に姥神像が祀ってあります。この像の背には「大正三年」、「御即位記念」とあり、おそらく大正天皇の即位記念として建立したものと思われます。もともとこの場所に姥神像があり、修復や交換するためだったのか、新たにこの場所に祀ったのか、資料が見つからないためその理由についてはわかりません。
ワサ小屋跡の姥神像
ワサ小屋跡の姥神像
熊野岳と地蔵岳の間の谷にあるワサ小屋跡。ここに姥神像が祀られています。首がない状態で瓦礫に埋もれていましたが、有志が集まり平成23年、㈱石駒さんが修復しました。
この小屋の番をしていたおワサさんという老婆の像という説もあります。
坊平の御清水にある姥神像
御清水の姥神像
坊平に御清水と呼ばれる場所があり、現在も水のみ場などが残っています。以前はおすず小屋と呼ばれる行人小屋があり、置賜地方からの蔵王参拝者で賑わっていました。ここに姥神像が祀られています。蔵王も以前は女人禁制だったため、女性が登れるのはここまでとの意味を込めて祀ったのではないかと考えられます。ここには、他にも多くの観音像などが祀られています。
また、この姥神像のレプリカが上山城に展示されています。
御清水の石仏群
蔵王の姥神像より
これら、蔵王にある姥神像はすべて、山形県側にあり、宮城県側には見ることができません。山形県でも特に村山地方にこのような山中の姥神像が多く見られることから、湯殿山の姥神信仰が村山地方で広められ、湯殿山、月山以外の信仰の山にも同じように置かれていったのではないかと考えられます。山の中に祀られたものについては、特に女人禁制の意味が多いと思われます。
続く・・・
寄稿文
廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
0コメント