はじめに 記事をお届けするに当たり、この度の九州豪雨と山形沖の地震災害、並びに近年の北海道・関西地方、並びに中国四国・九州地方他、多くの大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
願い橋(潜水橋)
八岐大蛇伝説の舞台となった斐伊川に架かる全長約160mの橋。
目を閉じたまま渡りきると願いが叶う橋として、話題に・・・
斐伊川堤防桜並木は、「日本さくら名所百選」に認定された中国地方随一の桜の名所です。毎年3月下旬から4月上旬には、全長約2キロメートル、約800本の桜のトンネルが楽しめます。川風が春の香りを運んでくる頃になると、夕暮れを待ちきれず、いつの間にかぼんぼりに灯りがともり、そぞろ歩きながら夜桜を眺める人たちで賑わいます。
屋台から「かっまいわ~」の声・・・
願い橋と桜は、スサノオノミコト とクシナダヒメの化身なのだろうか・・・⁉
雲南市にはヤマタノオロチ伝説で知られる斐伊川※が流れ、各地に神話や伝説、神楽などが伝承されており、加茂岩倉遺跡や神原神社古墳をはじめとした多くの遺跡や古墳が発掘されています。
※斐伊川の歴史
斐伊川は、「古事記」(712年成立)の「八岐大蛇(やまたのおろち)説話」にあるように、古来より氾濫を起こしては流域に多大な被害をもたらし恐れられてきたと伝えられています。かつての斐伊川と神戸川は、それぞれ「出雲大川(いずものおおかわ)」、「神門川(かんどのかわ)」と呼ばれ、出雲平野を西に流れ、共に神門水海(かむどのうみ)(現在の神西湖(じんざいこ)の前身)に注いでいた歴史があります。その後、寛永年間の大洪水を契機に斐伊川は流れを変え東流し宍道湖に注ぐようになったといわれています。
日本最古の歴史書「古事記」に残るスサノオノミコトのヤマタノオロチ退治。
この舞台が雲南市をはじめとした斐伊川流域といわれており、現在でも数多くの伝承地が残されています。
そこで本号では、スサノオノミコトとクシナダヒメの足跡を辿ってみたいと思います。
スサノオノミコトとクシナダヒメの岩座
夫婦岩 須我神社の奥宮
スサノオノミコト、クシナダヒメが造ったとされる「日本初之宮」、
須我神社 の奥宮『夫婦岩』。
【主祭神】
須佐之男命(すさのおのみこと)
奇稲田比売命(くしいなたひめのみこと)
御子神の清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)
『古事記』によれば、
スサノオノミコトが、ヤマタノオロチを退治されたあと、クシナダヒメを伴って、八雲山の麓に至ったとき、「吾此地に来て、我が御心すがすがし」といわれたことから、この地域を須賀(スガ)というようになった。
【三十一文字和歌発祥の地】
“八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる 其の八重垣を”
この地にたちのぼる美しい雲を見て、須佐之男命が詠まれた和歌で、日本で初めての和歌になります。
そしてこの和歌にある「出雲」が出雲国の名前の起源と言われています。
【夫婦岩への行き方】
須我神社から山の方へ約2キロ程度行くと、八雲山への登山口があり、
『八雲山登山口 須佐之男命御岩座夫婦岩まで400M』という案内板があります。
ここから山道へ入って登ります。
少し登ったところにはお清めの湧き水「神泉坂根水」があり、
「この水で身を清め、元気を頂いて御参拝下さい」と記してあります。
登山道には俳句が刻まれた岩が多数並びます。山頂には出口王仁三郎氏の破壊された歌碑なども。
八雲山の岩神様 夫婦岩は、3つの岩が寄り添い合っています。
一番大きいのが須佐之男命、中くらいのが奇稲田比売命、小さいのが清之湯山主三名狭漏彦八島野命。(夫婦岩の写真をご覧ください。)
八雲山山頂(426m)からの眺めは素晴らしく、晴れた日には宍道湖から中海方面、大山・隠岐島までも眺望できます。
山霧のほか、条件が整えば幻想的な雲海が眼下に広がり、須佐之男命も見たであろう風景を眺めることができます。
■駐車場
登山道入口付近にあり。(無料)
交通アクセス
車/出雲大東駅から約20分
路線バス/出雲大東駅から松江行き利用、須賀で下車。登山道入り口まで2km。
『日本初之宮』
須我神社
須我神社は、スサノオノミコトとクシナダヒメが造ったとされる「日本初之宮」。
『古事記』によれば、
スサノオノミコトが、ヤマタノオロチを退治されたあと、クシナダヒメを伴って、八雲山の麓に至ったとき、
「吾此地に来て、我が御心すがすがし」といわれたことから、この地域を須賀(スガ)というようになりました。
(上記御由緒は、須我神社 の奥宮『夫婦岩』と同様です)
またこの宮を包むようにして美しい雲が立ち上がるのを見て、スサノオノミコトが
『八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を』
と歌を詠んだことから、須賀の地は和歌発祥の地ともいわれています。
そしてこの和歌にある「出雲」が出雲国の名前の起源となったのです。
(上記御由緒は、須我神社 の奥宮『夫婦岩』と同様です)
児授かり、出産、夫婦円満の守護神。
【主祭神】
須佐之男命(すさのおのみこと)
奇稲田比売命(くしいなたひめのみこと)
御子神の清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)
また、かつて諏訪とも縁があって、その氏神の武御名方命(たけみなかたのみこと)も合祀されています。
(上記御由緒は、須我神社 の奥宮『夫婦岩』と同様です)
本殿のほかにも、境内には海潮神社、若宮神社、荒神の社、虚空社があります。
【二宮詣で】
須我神社では古来より本社と奥宮への二宮詣での習わしがあり、神社社務所で祈願札をお受けになって、奥宮の納札箱へ納めると、祈願札は一日、十五日に御祈願されます。
主な行事
■節分祭 2/3
宮司さんが放たれた矢を受け取ると、ラッキーが訪れるといいます。
■百手的神事(ももてのまとしんじ) 2/17 14:00~
悪鬼退散、五穀豊穣を祈願します。
■茅之輪神事(ちのわしんじ) 6/30 14:00~
須佐之男命が蘇民将来(そみんしょうらい)に一夜の宿を借りた礼に授けた除災招福の茅の輪にまつわる神事。
■茣蓙替祭(ござかえまつり) 8/22 16:00~
神前に新茣蓙を奉納する祭。奉納演芸(夜)
■鹿食之神事(かじきのしんじ) 9/27 19:00~
鹿の頭を供え、神酒を献じ国家安泰、五穀豊穣を祈願。
■例大祭 9/28 14:00~
年一番の祭礼。祭典後に神幸式(しんこうしき)、神代神楽(かみよかぐら)、綱引き大会(夜)などが行われます。
☆初詣では、参拝していただいた方全員無料で、箸クジがひけます。
■駐車場(無料)
普通車 50台 バス 3台
交通アクセス
<自家用車>
山陰自動車道「松江西」より 県道24号松江・木次線を大東方面に約15分
<路線バス>
JR出雲大東駅より松江しんじ湖温泉行き、もしくはJR松江駅より大東行きの一畑バスで「須賀」バス停下車 徒歩3分
『スサノオノミコトの御座所』
布須神社
布須神社参道入口(通り過ぎないようにご注意を!)
鳥居から石段にて拝殿へ
御室山
布須神社由緒記
【御祭神】
須佐之男命
稲田姫命
【社殿】 本殿なし 神奈備式玉垣一坪 拝殿十坪 平成七年十一月改建造
建立の年代は不詳、当社は延喜式に記載のお社で出雲国風土記にいう布須社です。
昔から人々に室山さんと呼ばれて崇拝されています。
風土記には「神須佐乃乎命御室令造給所宿給故云御室」と記されています。
神代の昔須佐之男命が八岐の大蛇を退治されたときに「八塩折の酒」を造らせられ御室(神の御座所)を設けられた所であるといいます。
神社は室山の南半腹に造営されており、大古から御本殿はなく室山そのものをご神体として崇拝する「神奈備」式のお社です。
社記によれば文徳天皇の御代(八五〇年ごろ)に正六位上の社格を授けられ、延喜式(九二七年)には官弊社に列せられるなど神格の高い神社で、近在近郷の人々から崇敬されてきました。
その後社頭は荒廃したままになっていましたが、治承年中(一一八〇年ごろ)に多くの石を積んで祠を造営し、弊を捧げて玉垣で囲み敬拝したと記されています。
神社の麓には「釜石」といわれる神石があり、須佐之男命がここで酒を造られたものという言い伝えがあります。
また室山の裏側には「寺床」とよばれる場所があり平安時代の初期から鎌倉時代(八〇〇から一三〇〇年ごろ)にはここに「四十二坊」があって山岳佛教として栄えていたと伝えられ今も昔の根跡をとどめる石の階段などが往時を物語っています。
■駐車場(無料)
普通車 50台 バス 3台
交通アクセス
<自家用車>
山陰自動車道「松江西」より 県道24号松江・木次線を大東方面に約15分
<路線バス>
JR出雲大東駅より松江しんじ湖温泉行き、もしくはJR松江駅より大東行きの一畑バスで「須賀」バス停下車 徒歩3分
『箸拾いの地』
八俣大蛇公園
右にスサノオノミコト(左のヤマタノオロチと対峙)
左にヤマタノオロチ
スサノオノミコトは高天原(たかまがはら)から鳥上の峯に天降ったあと、斐伊川の上流から箸が流れてくるのを見つけ、川上に人が住んでいることを悟ったといわれています。
この箸を見つけ、拾った場所が木次町新市の地であったと伝えられ、公園内にスサノオノミコトとヤマタノオロチが対決した場面を再現した石像と、「箸拾いの碑」が建立されています。
出雲神話は、こうして須佐之男命が、斐伊川で流れ下る箸を発見されたところから幕が開く訳ですが、その場所は伝説などから当地とされ、現在「八俣の大蛇公園」となっています。
住所 雲南市木次町新市
『オロチの棲み家』
天が淵
斐伊川上流、木次町と吉田町境にある「天が淵」はヤマタノオロチが住んでいたところといわれています。
また、別の伝承では、スサノオノミコトに「八塩折の酒(やしおおりのさけ)」を飲まされて、酔いつぶれたオロチが逃げ込んだ場所ともいわれています。
天が淵には、「蛇帯」と呼ばれる青と赤の筋になっている石があり、ヤマタノオロチの足跡と伝えられています。
住所 島根県雲南市木次町湯村
『クシナダヒメの両親が住んでいたとされる神殿』
温泉神社
天が淵の近くにある万歳山(ばんざいさん)にクシナダヒメの両親、アシナヅチ、テナヅチが住んでいたといわれ、この山腹にあった二人を祀る神岩が、現在、温泉神社の境内に安置されています。
むかし、万歳山のふもとに住んでいた足名椎(あしなづち)と手名椎(てなづち)には八人の娘がいたが、天が淵に棲む八俣(やまた)の遠呂智(おろち)(大蛇)(大岐蛇)によって次々にたべられ稲田姫一人となりました。
そこに須佐之男命が参られ遠呂智退治となりました。
須佐之男命は稲田姫を妻にむかえられ、国づくりがなされていきました。
稲田姫の父神足名椎、母神手名椎を祭った二神岩(ふたごいわ)は万歳山の中腹にあるが、山崩れで参道道がなくなり、天ヶ淵の上に玉垣を設けて拝神していました。
天が淵の近くにある万歳山(ばんざいさん)にクシナダヒメの両親、アシナヅチ、テナヅチが住んでいたといわれ、この山腹にあった二人を祀る神岩が、現在、温泉神社の境内に安置されています。
むかし、万歳山のふもとに住んでいた足名椎(あしなづち)と手名椎(てなづち)には八人の娘がいたが、天が淵に棲む八俣(やまた)の遠呂智(おろち)(大蛇)(大岐蛇)によって次々にたべられ稲田姫一人となりました。
そこに須佐之男命が参られ遠呂智退治となりました。
須佐之男命は稲田姫を妻にむかえられ、国づくりがなされていきました。
稲田姫の父神足名椎、母神手名椎を祭った二神岩(ふたごいわ)は万歳山の中腹にあるが、山崩れで参道道がなくなり、天ヶ淵の上に玉垣を設けて拝神していました。
国道改修にともない、その神陵が温泉神社境内に遷座されたものであります。
住所 雲南市木次町湯村1060
交通アクセス
●自動車
高速道路松江道 三刀屋木次IC
距離と所要時間三刀屋木次ICより25分
経路(国道/一般道)国道314号
案内板の有無:有
進入の可否:可
進入路の幅員:2.5m
駐車場の有無:無
●電車
主要駅⇒最寄駅JR松江駅⇒JR木次駅
所要時間(目安)60分
『アシナヅチらの立寄り場所』
長者の福竹
アシナヅチ、テナヅチとクシナダヒメは、ヤマタノオロチの危害から逃れるとき、この地に立ち寄り休憩されました。
使っていた竹の杖を地面に立てたところ、杖から根が出たことから「長者の福竹」という地名になったといわれています。
また、登った山の峰は「伴昇峰(ばんしょうがみね)」と呼ばれています。
長者の福竹…現在畑になっていて中心に南天が植えてあります。
住所 雲南市木次町西日登
続く・・・
編集後記
島根県雲南市とは、一般的にはあまり耳慣れない響きですが、実際そうなのです。当市は平成16年に従来の大東町・加茂町・木次町・三刀屋町・吉田村・掛合町の6町村が合併統合化した未だ初々しい山中都市だったのですね。しかし、二度吃驚の話。
当市は島根県でも深い山奥に位置し、歴史的には計り知れない太古の史実が横たわっているようです。
例えば古事記にも出てくるスサノオノミコト 、クシナダヒメ、ヤマタノオロチに関連した伝説の遺跡がゴロゴロ存在しているから堪りません。
次号でもご紹介する奥出雲の原風景の内、当市に残された伝承地を巡り、壮大な神話ロマンに浸ってみようではありませんか。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
一般社団法人 雲南市観光協会 〒699-1311 雲南市木次町里方26番地1 TEL(0854)42-9770
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