はじめに 記事をお届けするに当たり、この度の北海道における地震災害、関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
島根県奥出雲地域(島根県仁多郡奥出雲町)
日本農業遺産認定
「たたら製鉄に由来する奥出雲の資源循環型農業」とは
奧出雲 秋の稲田
奥出雲 夕暮れの棚田風景
奥出雲町
農業システムの概要
たたら製鉄(日本古来の製鉄法)の原料である砂鉄を採取するため、500年以上にわたって、鉄穴流し(かんなながし)という採掘技術で山々を切り崩し、採掘のために導いた水路やため池を再利用して次から次へと棚田に再生しました。
奥出雲地域の主たる母岩は深層風化の進んだ花崗岩(真砂土)で、この中に約1%の砂鉄を含有しています。棚田に再生するプロセスは、水流による比重選鉱で砂鉄を採掘し、削平された跡地を土羽で土手(畦畔)を築いて、導いた水流でさらに土砂を流し込み水平にしながら耕地を形成し、水路やため池はそのまま利活用しました。
島根県奥出雲地域は「たたら製鉄」のために切り崩した山々を500年以上にわたって棚田へと再生してきました。同時に、拡大する棚田の耕作のため17世紀初頭から続けた和牛改良の知識を肉用牛の飼養管理技術に受け継ぎ、系統を引き継ぐ種雄牛(仁多牛)を造成し、飼育で得た堆肥による土づくりで全国を代表する「仁多米」を育んでいます。
一方、約30年周期で伐採してきた薪炭林は、シイタケ生産に循環利用の知識を継承し、輪伐による健全な森林や水田畦畔に棲むミツバチが受粉を促し、在来ソバの結実率を高めながら遺伝資源を今日に伝え、「出雲そば」が日本三大蕎麦となりました。
農文化としてハレの日には蕎麦を振る舞い、稲作や和牛の信仰も根付き、鉱山跡地に拓かれた棚田には墓地や神木を祭った小山(鉄穴残丘)が無数に点在し、神(自然)を畏れ祖先を敬う日本の宗教観をよく示す農業景観を形成しています。
これら、たたら製鉄に由来する稲作、和牛、シイタケ、ソバの農林畜産業が有機的に結びついて高品位な農産物を生み、当地域の農業生産額の約90%を占めています。
これによって農家の生産意欲を高め、当地域の生物多様性が保たれるという、世界に類い稀な資源循環型農業が行われているのです。
奥出雲地域のたたら製鉄と農林畜産業の特徴
島根県奥出雲町は中国山地の山々に囲まれ、緩やかな棚田が広がる美しい農村です。
かつてこの地で栄えた「たたら製鉄」は、近代化が進んだ明治以降、西洋式の製鉄法の導入等により衰退し、地域産業としての役目を終えたが、今日、世界で唯一、奥出雲の地でその技術が保存・継承されています。
奥出雲地域で行われる農業とその営みがつくりだす農村風景は、驚くべきことに、かつてこの地で繁栄を極めた「たたら製鉄」の歴史の上にあるのです。すなわち、自然から永続的に資源を取り出せるよう管理された製鉄業を前提として、自然と共生した農業によって高品位の農産物を育み続けるという、優れた農業システムを有しています。
良質な砂鉄を含んだ大地と中国山地の豊かな森林、水資源に恵まれた奥出雲地域は、この自然特性を活かすことにより我が国の製鉄における一大生産地帯となり、社会経済を支えてきました。たたら製鉄に使用される砂鉄は、山体を切り崩し水流によって比重選鉱する「鉄穴(かんな)流し」と呼ばれる技術によって採取され、膨大な土砂を流し広大な面積の鉱山跡地(鉄穴流し跡)が形成されました。しかし、この跡地は放置されることなく鉄穴流しで利用されていた水利を活かしながら、次から次へと棚田として再生され、その農地面積は奥出雲地域の農業基盤(田畑)の約3分の1にも及ぶとされている。
また、たたら製鉄には大量の木炭を必要とすることから、森林資源が枯渇することのないよう約30年周期で計画的に輪伐を繰り返しながら保全管理し、伐採した後はソバの種をまいて食料と生計を支えてきました。これと同時に、格好の放牧場として春から秋にかけて和牛が放たれていました。今日に至り、森林資源は薪炭林の役目を終え、シイタケなどのきのこ生産の原木供給林として利用されています。
さらに、製品鉄や原材料である砂鉄や木炭の運搬のために丈夫な牛馬が必要であったため、江戸初期から和牛改良を重ねながら増頭し、役牛として農耕させるとともに、牛糞堆肥を水田に施用し稲作を拡大してきました。こうして、「農業」と「製鉄業」が両立した農鉱一体の産業として、この地域ならでは独特な農業システムを生み出したのです。
今日において、奥出雲町で生産される「仁多米」のコシヒカリは西の横綱とも呼ばれるブランド米として販売され、日本三大蕎麦のひとつ「出雲そば」は、当地で栽培される在来ソバ「横田小ソバ」がそのルーツとされています。
また、運搬・農耕用として使用した役牛は改良を重ねて系統を引き継ぐ優秀な種雄牛「仁多牛」を生み出し、現在では「奥出雲和牛」として島根県内では代表的な産地となりました。また、たたら製鉄に使用するため輪伐管理されてきた薪炭林は、シイタケなどのきのこ生産の原木供給林として利用され、菌床椎茸、舞茸などを栽培して出荷・販売されています。
たたら製鉄に由来する循環型システムを兼ね備えた「鉄」、「木炭」、「役牛」は往時のこの地の産業を支えていましたが、現代においては、鉄穴流しで拓かれた農地で「米」や「ソバ」が生産され、かつて木炭を生み出した森林資源は「シイタケ」の生産へ、役牛の改良から肉質評価の高い肉用の「和牛」生産へとつながり、これらが相互に関連し有機的に結びつくことで、優れた持続可能な資源循環型農業を実現しているのです。
日本農業遺産
日本農業遺産は、我が国において重要かつ伝統的な農林水産業を 100 年以上営む
地域(農林水産業システム)を農林水産大臣が認定する制度で、2016 年(平成 28 年)
に創設されました。平成 29 年 3 月に 8 地域が認定されています。
世界農業遺産 (GIAHS)
世界農業遺産は、世界において重要かつ伝統的な農林水産業を営む地域を国連食
糧農業機関(FAO)が認定する制度で、2002 年(平成 14 年)に開始されました。
イラン1地域、モロッコ1地域、スペイン1地域が新たに世界農業遺産に認定され、世界農業遺産認定地域数が21ヶ国57地域となりました。(平成30年12月)
【参考】
文化的景観認定
平成26年3月18日 国の重要文化的景観に選定
「奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観」文化庁より認定
日本遺産認定
平成28年4月25日 日本遺産に認定
「出雲國たたら風土記 鉄づくり千年が生んだ物語」
安来市・雲南市・奥出雲町の共同で文化庁より認定
たたら製鉄の幕開け
島根県東部の出雲地方では、約1400年前から「たたら製鉄」と呼ばれる砂鉄と木炭を用いる鉄づくりが盛んに行われていました。天平5(733)年に書かれた『出雲国風土記』には、「この地で生産される鉄は堅く、いろいろな道具をつくるのに最適である」と、生産される鉄の優秀性が語られています。そして、江戸時代後半から明治にかけての最盛期には、全国のおよそ8割の鉄が、当地を中心とした中国山地の麓でつくられていました。
なかでも奥出雲地域には、たたら製鉄の原料となる良質な砂鉄を含む花崗岩(真砂土)が広く分布し、燃料の木炭を得るための森林も広大であったため、これらの資源を求めて製鉄技術者が多数集まってきました。この歴史を象徴するのが、鉄づくりの神「金屋子神」が白鷺に乗ってカツラの木に舞い降り、製鉄の技術を授けたとする金屋子神話です。今日、「金屋子神社」の総本社がこの地に鎮座し、鉄づくり発祥の地として篤く信仰されています。
神秘的な炎を舞い上げる たたら製鉄
鍛える
広く信仰を集める金屋子神社(総本社)
金屋子神社(かなやごじんじゃ)
1200社を数える「金屋子神社」の総本山。
明治14年の建造で高さ9mの御影石造りの見事な大鳥居は石造りでは日本一と言われています。
昔の伝統を頑なに守るたたら職人をはじめ、鉄に関わる様々な人々の信仰を集めていて、現在でも製鉄・治金関係者らが数多く参詣しています。
ご祭神は金山彦命・金山姫命。
日照りで困っていた播磨の国に、慈雨をもたらし多くの人を飢餓から救った金屋子神。
「これからは西の方へ行き、人々に鉄の製法を教えなければなりません。」と白鷺に乗って飛び去り、この地の桂の木に降り立ち、他の神様たちを導引し人々に鉄作りの技術を教えたとされています。
永代たたらの建設に加わった75神をはじめ、火災から高殿を守る神、炉に風を送る神、方位を守る神、と「たたら製鉄」には多くの神様たちが参加したと言われています。 この神様が一緒だと質の良い鉄が産み出される、と「たたら師」たちの間に金屋子信仰が起こり、たたら場には必ず金屋子神が祀られ、「桂の木」が植えられました。
その後、たたら集団の拡散と共に全国に広まり、現在では1200社を数える金屋子神社の総本山。春秋の大祭には、鉄工関係業者をはじめ県内外の参詣人が多く訪れています。
たたら製鉄を支える人々と環境
奥出雲を訪れると、豊かな山林に抱かれた広大な棚田が点在し、その棚田の中にポツンポツンと“こぶ”のような小山がある光景に気が付きます。これは山を切り崩して土砂を水路に流しながら砂鉄を採取する「鉄穴流し」が行われた際に、鎮守の杜や墓地など神聖な場所を削らずに残したものです。鉄づくりには、想像を絶する多くの山を切り崩すほど大量の砂鉄が必要でしたが、その跡地はそのまま放置されることなく、鉄穴流しで使用した溜め池や水路を利用して計画的に農地に再生し、1km以上も続く棚田の景観を至る所に生みだしました。さらに、砂鉄を採取した残りの土の大半は下流域に堆積して、現在の出雲平野や安来平野など、広大な穀倉地帯を形成したのです。
また、かつて木炭を焼くための山林は大規模に伐採されましたが、永続的に炭焼きができるように約30年周期の輪伐を繰り返し、循環利用してきました。この結果、奥出雲の山々にはブナ林をはじめとする自然豊かな森が多く残り、四季折々の彩を見せて人々の心を癒してくれています。
鉄穴流しで採取した砂鉄と山林で焼いた木炭は、「山内」と呼ばれる製鉄工場に集められました。山内は、たたら製鉄の従事者だけで構成される100人から200人規模の小さな鉱山町で、カツラの木をご神木として金屋子神を祀り、住居と製鉄施設を構えていました。鉄師(たたら経営者)は、町から離れた清流沿いの谷あいに独立した山内集落をつくることによって、その技術を継承し、たたら製鉄を守ってきました。このように、たたら製鉄は、山内を中心として原料と燃料を継続的に手に入れられるとともに、“人”と“自然”とが共生する持続可能な産業であったと言えます。
左:棚田に小山が点在する奥出雲の独特な景観/右:操業当時の姿が残る菅谷たたら山内
たたら製鉄によりもたらされた文化・産業
奥出雲で生産された鉄は次から次へと牛馬や川舟によって安来などの港へ運ばれ、北前船交易の主要な荷として全国各地へ送り出されました。港と奥出雲を結ぶ街道は鉄輸送によって人の往来が増え、街道筋の宿場町や温泉は大いに賑わいました。港町・安来は、鉄の集積地として人々が交わる拠点となり、各地の船頭が唄う民謡などの影響を受けて「民謡安来節」が生まれ、ユニークな「どじょうすくい踊り」とともに全国に知られています。
全国に知られる安来節(抜粋)とどじょうすくい踊り
親父どこ行く 腰に篭下げて 前の小川に どじょう取りに
唄に千両の 値踏みがあれば どじょうは万両の 味がある
わしが生まれは 浜佐陀生まれ 朝まとうから どじょやどじょ
たった一夜の 時雨に濡れて 乱れましたよ 萩の花
高い山から 谷底見れば 乙女姿の どじょう掬い
また、鉄の交易によって多くの富とさまざまな文化が集まりました。製鉄業で財をなした鉄師たちは、収める品ごとに数多くの土蔵を建て、都で見られるような豪華な茶室や庭園を自邸に構えて「不昧」と号した松平治郷をはじめとする歴代松江藩主をもてなしました。労働者たちは、鉄師から聞いた京都の「祇園祭り」の様子を模して、太鼓を叩く稚児を乗せた山車が練り歩く「大呂愛宕ばやし」を思いつき、ハレの日を演出して楽しみました。
奥出雲町 夏の風物詩「大呂愛宕祭り」
大呂愛宕祭りは、鳥上地区大呂地内で行われている火難よけ、五穀豊穣の祭りで、
およそ300年以上の歴史を持つ伝統的な夏祭りです。
毎年、8月下旬の夕暮れから、どう屋台や傘ぼこ、ねぶた、デコ屋台などの山車(だし)行列が福頼、山県公会堂前を出発。代山三叉路、中丁三叉路、妙厳寺下を巡行し、大呂愛宕大権現を目指して華麗な風情を繰り広げます。
愛宕大権現境内では、夕闇にライトアップされた幻想的な光が、可愛らしい稚児の姿とともに、田園晩夏を美しく彩り、子供たちの太鼓やチャンチャ、笛の音が響きわたり、大勢の人たちが過行く夏の一夜に酔いしれるのでした。
一方、農村部では、鉄穴流しで大規模に切り崩した跡地にまず蕎麦などの種を蒔いて土をつくり、その後、稲を植えて、広大な棚田をつくりあげました。このようにして生産された蕎麦は幕府にも献上され、良質米は大阪に送られるほど高い評価を受けました。
たたら製鉄は、単に鉄をつくっただけでなく、地域産業の発展を支えながら、格調高い文化を育んでいったのです。
たたら製鉄が紡ぐ持続可能な社会
出雲地方は、スサノオのヤマタノオロチ退治神話の舞台でもあります。現在も伝承地が点在し、各地で舞われる神楽が神代の世界を伝えています。この神話に登場するヤマタノオロチを、砂鉄採取の影響で氾濫する川になぞらえ、退治したオロチから取り出された剣を製鉄の象徴に、イナタヒメは砂鉄採取の跡地に拓かれた稲田に見立て、「たたら製鉄の歴史」と重ね合わせながら語り継がれてきました。
たたら製鉄は、産業としては100年ほど前に終焉を迎えましたが、その技術は今も絶えることなく世界で唯一この地で伝承されています。流通の拠点として賑わいを見せた港町は今や全国有数のハガネの産地へと発展し、たたら製鉄の技術を受け継ぐ高級特殊鋼「ヤスキハガネ」が現代の“ものづくり”を支えています。また、鉄穴流しにより拓かれた耕作地では全国に名高い「出雲そば」や「仁多米」を育み、多くのファンを魅了しています。
今もなお、この地は先人がたたら製鉄千年の歩みの中で生み出した特徴豊かな地域の文化と産業、自然景観に満ち溢れ、終わることのない物語を紡ぎ続けています。
左 ヤマタノオロチ退治の神話を伝える神楽/右 今も残る鉄師が暮らした石州赤瓦の街並み
【参考】
農業遺産とは
農業遺産とは、社会や環境に適応しながら何世代にもわたり継承されてきた独自性のある農林水産業と、それに密接に関わって育まれた文化、ランドスケープ及びシースケープ、農業生物多様性などが相互に関連して一体となった、伝統的な農林水産業を営む地域(農林水産業システム)を認定する制度であり、国連食糧農業機関(FAO)が認定を行う世界農業遺産と、農林水産大臣が認定を行う日本農業遺産があります。
世界農業遺産は、世界において重要かつ伝統的な農林水産業を営む地域を、FAOが定める認定基準に基づき認定する制度で、平成14年に開始されました。当初は、開発途上国を対象として推進された事業であったため、認定基準は開発途上国の現状を重視したものとなっています。
先進国である日本には、FAOが定める認定基準では評価しきれない、我が国として評価すべき点を備えた次世代に継承すべき伝統的な農林水産業
を営む地域が存在することから、我が国としての問題意識とそれに基づく
認定が必要であり、平成28年に日本農業遺産を創設しました。
日本農業遺産の認定を行う地域の決定!
農林水産省は、平成31年1月24日(木曜日)に行った世界農業遺産等専門家会議の評価結果を踏まえ、世界農業遺産への認定申請に係る承認及び日本農業遺産の認定を行う地域について決定しました。
1.概要
世界農業遺産は、世界において重要かつ伝統的な農林水産業を営む地域を認定する制度であり、各国政府(日本の場合は農林水産省)の承認を得て、国連食糧農業機関(FAO)が認定します。
また、日本農業遺産は、我が国において将来に受け継がれるべき伝統的な農林水産業を営む地域を認定する制度であり、農林水産大臣が認定します。
この度、農林水産省は、平成31年1月24日(木曜日)に行った世界農業遺産等専門家会議の評価結果を踏まえ、世界農業遺産への認定申請に係る承認及び日本農業遺産の認定を行う地域を決定しました。
2.世界農業遺産への認定申請を承認した地域
山梨県峡東(きょうとう)地域
峡東地域の扇状地に適応した果樹農業システム
滋賀県琵琶湖(びわこ)地域
森・里・湖(うみ)に育まれる漁業と農業が織りなす琵琶湖システム
兵庫県兵庫美方(ひょうごみかた)地域
兵庫美方地域の但馬牛システム
3.日本農業遺産に認定した地域
山形県最上川(もがみがわ)流域
歴史と伝統がつなぐ山形の「最上紅花」~日本で唯一、世界でも稀有な紅花生産・染色用加工システム~
福井県三方五湖(みかたごこ)地域
三方五湖の汽水湖沼群漁業システム
滋賀県琵琶湖(びわこ)地域
森・里・湖(うみ)に育まれる漁業と農業が織りなす琵琶湖システム
※世界農業遺産への認定申請を承認
兵庫県兵庫美方(ひょうごみかた)地域
兵庫美方地域の但馬牛システム
※世界農業遺産への認定申請を承認
和歌山県海南市下津(かいなんししもつ)地域
下津蔵出しみかんシステム
愛媛県南予(なんよ)地域
愛媛・南予の柑橘農業システム
島根県奥出雲(おくいずも)地域
たたら製鉄に由来する奥出雲の資源循環型農業
奥出雲 棚田 秋の収穫作業
(山梨県峡東地域の峡東地域の扇状地に適応した果樹農業システムについては、平成29年3月に日本農業遺産に認定済み)
4.今後の予定
世界農業遺産への認定申請を承認した地域については、今後FAOへ申請を行い、FAOにおいて審査を受けることとなります。 日本農業遺産に認定された地域については、4月19日(金曜日)に農林水産省講堂で認定式を行う予定です。
なお、世界農業遺産への認定申請に係る承認及び日本農業遺産の認定に関する次回募集は、平成32年(2020年)早々を予定しています。
続く・・・
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
奥出雲町役場(農業振興課)
〒699-1511 島根県仁多郡奥出雲町三成358-1 TEL 0854-54-2513
安来市観光協会
〒692-0011 島根県安来市安来町2093-3 (観光交流プラザ内) TEL:0854-23-7667
一般社団法人 関市観光協会 岐阜県関市若草通3丁目1番地 関市役所内tel.0575-23-6726
農林水産省〒100-8950 東京都千代田区霞が関1-2-1電話:03-3502-8111(代表)
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号電話番号(代表)03(5253)4111
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