はじめに 記事をお届けするに当たり、先の北海道における地震災害、関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
姥神とは
姥神の定義の説明の前にまず、奪衣婆の説明をさせていただきたい。
奪衣婆とは、死後にあの世へ渡るための三途の川の岸辺にいて、亡者の衣を脱がせる存在である。なぜ脱がせるのかと言うと、その衣を衣領樹(えりょうじゅ)と呼ばれる木の枝にかけるためである。そうすると生前の罪の大きい者は枝が大きく下がり、小さい者はほとんど動かない。亡者の罪はその衣に重さとなって染み込んでいることになる。衣領樹は罪を量るはかりであり、それを審査するのが奪衣婆である。
この奪衣婆の姿は、目をらんらんと開き、耳まで裂けた口には牙を生やしたいわゆる鬼婆の顔。そして片足を立てて座り、はだけた上着からは垂れた胸をあらわにしている。
この奪衣婆に対しその像容が一緒であり、しかしながら単独で祀られているものがある。富山県立山芦峅寺の姥堂に祀られていたものなどは、奪衣婆と同じ姿の像をおんば様と呼び、奪衣婆とは別のものとして信仰していた。これに似たような信仰が今も全国に残っている。これら像容が奪衣婆と同じで、それ単独で祀られているものを奪衣婆とは区別し、ここでは姥の神、姥神と呼ぶこととする。
◆日光にそびえる霊山
東照宮で有名な栃木県日光。その目前にせまるようにそびえる山が男体山です。
標高2、486mの火山で日本百名山のひとつに数えられています。
この山は、勝道上人により、782年(天応2年)に開かれたとされますが、これ以前から信仰を集めていたという説もあります。
祭神は大己貴命(大国主命)とされ、本地物は千手観音です。頂上には大己貴命を含む二荒山大神の立派な銅像もあます。
日光二荒山神社の奥宮となっているこの山の頂上には、キラキラと輝く長さ約3・6mの巨大な剣(ステンレス製)がそびえており、非常に見ごたえがあります。この剣には、日本神話における三種の神器のひとつ、草薙の剣から御霊分けされた魂が込められているそうです。
◆志津宮に姥神像
通常は男山の南側、つまり中禅寺湖側にある日光二荒山神社から山頂の奥宮に向かいますが、反対側、山の北側にも登山口があります。
その登山口のある場所は、二荒山神社志津宮と呼ばれ、志津小屋の跡地にあります。
“志津”は月山登拝時に通る地名であり、さらにその志津宮近くには湯殿沢という名も見えます。
これらのことから、男体山の裏側は月山、湯殿山を擁する出羽三山を模していた可能性が高いと思われます。
その志津宮に1メートル強の、他にはあまりみられない大きな石の姥神像が祀られています。
志津宮の姥神像
姥神像のある祠
◆出羽三山を模して
太多和宿跡
田中英雄氏の『東国里山の石神・石仏系譜』によると、志津宮の近く、太多和宿跡に行恵という行人の石像があり、「日光山修験道史」に、寛永元年(1624)にその行恵が出羽三山を勧請したという記述が見られるそうです。実際に確認してみると行恵上人の石仏の背には“湯殿開山上人”という文字が彫られていました。
行恵上人の石仏
志津宮の姥神像のある祠の前には、湯殿山の本地仏、胎蔵界大日如来の種字、「ア」が刻まれた石碑も見られます。また、その近くには湯殿山の本地仏の大日如来と思われる石仏もあります。
志津小屋跡の石仏:大日如来、不動明王など
これらのことから、男体山の裏側は、出羽三山、湯殿山を模していたと考えることができます。
続く・・・
寄稿文 廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家
協力(敬称略)
環境省 関東地方環境事務所 〒330-6018さいたま市中央区新都心11-2
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