ZIPANG-3 TOKIO 2020 G20大阪サミットで世界のVIPをお迎えする「 “大阪の迎賓館” リーガロイヤルホテルの メインロビーが生まれ変わりました」

はじめに 記事をお届けするに当たり、この度の山形沖を震源地とする、地震災害で被災された方々、並びに前年の北海道・関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。


大阪市は本年、世界的注目度NO.1のホスト都市へ

殊に来る2019 年 6 月28日・29日のG20 大阪サミットを機に、大阪では今後国際的なイベントが多数控えており、年々増加している訪日外国人は、今後も増加の一途を辿ると想定。
そんな中、

おもてなしの役目を引き受ける代表格のリーガロイヤルホテルにスポットを当ててみよう。



生まれ変わった旗艦となる大阪市のリーガロイヤルホテル(大阪市北区中之島)のメインロビー。

※1973 年の新館(現タワーウイング)開業以来、2 回目の改装。

G20大阪サミット は各国から V.I.P.が多数来阪し、大阪全体を世界に発信する絶好の機会である。この度、G20の開催にあたり、要人を迎える「顔」 としての1 階メインロビーの緞通、照明、サインなど空間全体を晴れやかに格調高く、“伝統と革新”をテーマにリニューアルした。


リーガロイヤルホテル誕生の背景

第一次世界大戦や1923年の関東大震災、昭和金融恐慌等度重なる不況を経験し、漸く1930年代に入ると日本は重工業化や商社等が活況を呈し景気が回復してきた。この頃、大阪政財界の“賓客のための近代的ホテルを大阪に”との声が高まり1935年、

“大阪の迎賓館” として 当館が誕生したのである。以来 80 余年の歴史と伝統を育みながら進化し続けるホテルとして更に、今回の日本初G20 大阪サミットを通して世界へ発信していく意気込みだ。

リーガロイヤルホテルは、日本を代表する建築家、吉田五十八氏によって“日本の伝統美”を取り入れ設計された。特に1973 年に竣工した新館の 1 階メインロビーからラウンジへと続く空間は、当時から高い評価を得ていた。

今回のリニューアルでは、現代のクリエイターたちが吉田五十八氏の思想やホテルの歴史を紐解きながら、最新の技術やデザイン思想と融合させ、当時の空間を現代に甦らせている。


詳細は、次の通り。

1 階メインロビー改装 概要

【投資金額】 約 2 億円

【設計・デザイン】 

設計:株式会社トラフ建築設計事務所

施工:株式会社竹中工務店

緞通:オリエンタルカーペット株式会社

サイン:株式会社日本デザインセンター


【改装内容】

緞通


1973年当時の大緞通「万葉の錦」これは1973 年の新館(現タワーウイング)開業から 2007 年まで 1 階メインロビーを飾っていた。


新時代「令和」1年に向けて生まれ変わった大緞通「万葉の錦」

新館開業当初から親しまれた「万葉の錦」は現代感覚でリデザインされ、紅葉模様を大柄にアレンジ。新館開業当時から制作に携わったオリエンタルカーペット株式会社の伝統的な「山形緞通」による手刺しの緞通がメインロビーを彩った。


能衣装から着想を得た紅葉模様を大柄にアレンジした鮮やかな柄が、世界のVIPはロビーに足を踏み入れた瞬間から、東北・山形の地で育んだ手刺し緞通の、日本ならではの色・柄・デザインに驚嘆の声をあげ、思わず fantastic(ファンタスティック)と叫ぶに違いない。


このデザインモチーフは日本画家、(故)杉山 寧(1909-1993)の作品から拡大リデザインされたものである。その斬新的な画風は装飾デザインに繋がり、注目を浴びた。

※杉山 寧(杉山やすし)は日本画家、日本芸術院会員、東京都名誉都民、文化勲章受章者。
三島由紀夫の岳父にあたる。 


天井・照明

天井は 1973 年当時の金目地の格子柄の意匠を再現。照明デザイナーにより当時の照明計画を現代の技術で再解釈し、コンパクトになった LED の照明器具によって、明るく、眩しさを抑えた快適なロビー空間を実現。


柱の金蒔絵に光をあて、藤原時代の織物に見られる鳥模様の金色の柄と緞通のオレンジ色を輝かせ、奥のメインラウンジへとお客様を誘う。


サイン

1 階空間のサインを、ホテルのホスピタリティを革新するために多言語表示(4 か国語)で刷新。サインデザインは、国内有数のデザインファーム、株式会社日本デザインセンターが担当。


緞通制作過程のご紹介

・緞通の色(詳細)検証

厳密に元見本となる1973年デビュー当時の緞通と柄サイズ・色について比較検証をおこないます。

柱の細かい模様とのコントラストが生まれ、それぞれが引き立てあうよう柄は 1973 年当時の2 倍の大きさに。紅葉の上に立つと不思議なスケール感を味わえる。色は基本的に当時の色を再現した。


緞通の色(詳細)検証


既存(1973 年使用)の糸サンプルと 600 色のサンプルを見ながら、色の組み合わせを検討。

紅葉を大柄にアレンジすることで、細かな鳥の模様を描いた柱とのコントラストが生まれそれぞれが引き立て合うサイズに。
紅葉柄のサイズは1973年当時の約2倍の大きさとなった。

「足もとからのおもてなし」をコンセプトに、職人一人ひとりの手によって丁寧に作り上げられた緞通で、ふんわりとやさしく足もとを支える。


緞通の製作

山形県山辺町「オリエンタルカーペット株式会社」


メインロビー変遷



参考


山形 山辺町。冬には雪をいただき連なる山々と玉虫沼。山形緞通はこの環境から誕生する。


山形緞通、オリエンタルカーペットとは…

G20大阪サミットのVIPをお迎えするリーガルロイヤルホテルメインロビーのカーペットのお話です。

通常、ホテルの宴会場や大劇場の緞帳などを飾る大型織物は一般家庭では余りご縁が無い為、"オリエンタルカーペット" と言っても、普段は殆ど耳慣れない商号かも知れません。

この山形緞通 "オリエンタルカーペット" は、れっきとした日本製で且つ世界最大の手織りカーペット専門メーカーなのです。そして山形緞通と呼ばれ今や日本一の技術とクォリティーを誇る絨毯メーカーとなりました。

その生産地は山形市に隣接する丘陵地帯、山辺町の一角に存在します。元は戦国時代、60万石大名最上義光氏の四男、山野辺義忠氏が領する城下町でした。

産業としては古くから農家の多くが蚕産に携わり、昭和15年頃には政府奨励による農家の副業が羊の飼育と羊毛紡ぎで、⽣計を⽴てたのです。

羊⽑を各家庭で紡ぐなどして、戦時中には、県内に疎開してきた⼈からメリヤス技術を学び、同様に疎開してきた機械メーカーの工場があったことからメリヤス製品の編み機がつくられました。

戦後になると、寒さをしのぐための衣類が極端に不足し、需要の高まりにあわせて商業・農業など他の産業からの転業者も加わり、メリヤス産業があっという間に勃興しました。

昭和30年代のメリヤス生産の様子

主な地域資源

ニットサマーニット誕生の町⼭辺町内のメリヤス企業が、アクリル⻑繊維をセーター用に研究開発し、昭和35年に商品化された「サマーセーター」。

それまでのセーターと⾔えば秋・冬に限られ、操業も半年間だけであったメリヤス産業が年間を通して操業が可能となるなど大きな変革をもたらし、やまのべニットの名を全国に広めました。

手織りカーペットについて

昭和10年に中国から技術者が招かれ、技術導入が行われたのに始まり、昭和21年にオリエンタルカーペット(株)が設立され、その下請企業が集まって産地が形成されました。

当時は生産量の8割が輸出され、バチカン宮殿への納品はその名声を決定づけました。

美術工芸性の高い「織画」は、羊毛を紡いで染めた糸で絵柄を織り壁掛け用に仕立てたもので、手織り絨毯の技法による立毛織は高度の熟練と感性を要し、繊細な質感と微妙な色調を表現できることです。


現在は手織りカーペット製品のほとんどが国内向けとなりました。


卑近な施工例として、歌舞伎座のメインロビーの床を思い出して下さい。
天皇家の国賓を迎える新宮殿の春秋の間、生田神社、経団連会館などの表舞台を飾っているのが山形緞通です。


山形緞通のじゅうたんは、糸づくりから、染め、織り、アフターケアまですべて一貫生産でつくられます。ひとつひとつ、丹念に。そのじゅうたんには、職人の技術と思いが込められています。



鎹八咫烏  記
伊勢「斎宮」明和町観光大使



協力(順不同・敬称略)

リーガロイヤルホテル(大阪)
〒530-0005 大阪市北区中之島 5-3-68 TEL:(06)6448-1121 

山辺町観光協会 〒990-0392 山形県東村山郡山辺町緑ヶ丘5
(山辺町役場 産業課 商工観光係)TEL:023-667-1106 

オリエンタルカーペット(株)
〒990-0301 山形県東村山郡山辺町大字山辺21番地 TEL 023-664-5811(代表)



※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。




ZIPANG-3 TOKIO 2020

2020年東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、神社仏閣、祭礼、伝統芸能、風習、匠の技の美、世界遺産、日本遺産、国宝等サイトを通じて平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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