はじめに 記事をお届けするに当たり、この度の九州豪雨と山形沖の地震災害、並びに近年の北海道・関西地方、並びに中国四国・九州地方他、多くの大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
今帰仁村 古宇利島~古宇利大橋
古宇利島(こうりじま)と屋我地島(やがじしま)を結ぶ全長1,960mの古宇利大橋。沖縄でも有数の絶景地です。
古宇利島では、海風にあたりながら、のんびり散歩したり、夜は沖縄らしさを感じる古民家をCTで貸切。顧客参加型のカチャーシーを皆で体験したり、地元の方とのふれあいを楽しむことも出来ます。
まるで絵の中の世界にいるようですね…運天森園地からの眺めです。
静かな運天区にある公園は、展望台から古宇利大橋を一望できます。
運天港から行き来するフェリーもお伽話の船のようですね…夏と秋が一緒に訪れる
今帰仁村はフルシーズン楽しめますよ。~浴衣の君にススキの簪のプレゼントは如何~
今帰仁村です。今泊のクヌギ屋敷林と今帰仁城跡みつけてみて下さい。貴重なサンゴ礁です
今帰仁村の遥か先まで見通すことのできる海の中はサンゴとカラフルな熱帯魚が舞い踊る南の国の竜宮城・・・幸運の女神が微笑むと、人魚のモデル「ジュゴン」にも遇えるそうです
今帰仁村の空と海と白い砂浜。
ピカソ、ミロ、ダリなど芸術家たちを魅了してやまない、波の音さえ聞こえてこない、
そこにあるのは静寂しかない地中海のビーチのようですね…
岩と岩に囲まれたプライベートビーチが点在するスペイン・カタルー二ャ州北東部の
コスタ・ブラバ(別名 野生の海岸)に、勝るとも劣らない白砂と透明感のあるブルーの海
今帰仁中学校の生徒の皆さんの職場体験記事紹介(抜粋)
今帰仁中学校の職場体験ということで、生徒だけで記事を作ってみました‼️
私たちは、今帰仁村の観光スポットや穴場スポットに行き、その場所や地域について調べてみました。
🔵今帰仁城跡🔵
思っていたよりも高くて渓谷の下には『志慶真川』があり、裏切った味方の軍勢が裏門を開けてそこから敵が攻め込んで来たと言われている。
🔵歴史文化センター🔵
今帰仁村歴史文化センター
今帰仁は昔『伊麻奇時利(いまきじり)』(みゃきせん)と呼ばれていたらしい。⇨
沢山の文化財が展示されていました(^o^)
今帰仁中学校生徒の皆さん、故郷の記事をありがとうございました。
今帰仁村の概要
(1)位置と地勢
今帰仁村は、沖縄本島北部、本部半島の北東部(北緯 26°40′43″、東経 127°58′29″)に位置し、那覇市から北へ道程みちのり約 85km。東から東南部にかけては名護市、南西部から西は本部町、北は東シナ海に面し、北東約 1.5km には古宇利島があります。
村土面積は 39.89k ㎡です。
村の南側には、乙羽岳(標高約275m)を中心に山並みがほぼ東西に延びており、その山麓から北および東に向かって緩傾斜地となり、さらに平坦地が広がり、耕作地は集落を中心に広がっています。村内の河川は、村の中央部を呉我山から仲宗根を通り東シナ海へと注ぐ大井川(二級河川)と今帰仁城跡の東側を流れる志慶真川(普通河川)があります。その外に四本の普通河川があり、いずれも南から北方向へと流れ東シナ海へと注いでいます。
(2)人口及び産業
人口は約 9,345人(平成31年3月今帰仁村人口調査)であり、ここ 10 年程度ほぼ横ばいで推移しています。65 歳以上の人口の割合は 31,6%と、高く(平成31年3月末今帰仁村人口調査)、高齢化の進む傾向にあります。
産業別就業者数は、1 次産業 30%、2 次産業16%、3 次産業 54%と、他市町村と比較して農業の盛んな村です。
(3)歴史
今帰仁城跡・今帰仁城歴史年表
「今帰仁」は古くはオモロや辞令書で「みやきせん」とうたわれ、また『海東諸国紀』(1471 年)には、「伊麻寄時利(いまきじり)」と記され、近世(17 世紀)になって「今帰仁」と表記されるようになりました。
琉球が中山に統一される前の「三山鼎立(ていりつ)時代」には、北部地域は山北(北山)王が支配し、今帰仁グスクがその拠点でした。三山統一後の今帰仁は、現在の本部町を含む本部半島の大半を占める大規模な間切(今でいう村)でしたが、1665 年に第二監守時代の監守が首里に引き上げると、翌年に今帰仁間切は今帰仁と伊野波(本部)の二つの間切に分割され、ほぼ現在の規模となりました。
村内には今泊、兼次、諸志、与那嶺、仲尾次、崎山、平敷、越地、謝名、仲宗根、玉城、呉我山、湧川、天底、勢理客、渡喜仁、上運天、運天、古宇利の 19 の字あざがあります。今帰仁間切の番所(後に役場と改称)は運天港に所在し、大正 5 年に仲宗根に移転しました。
間切には地頭代 (じとうだい)をはじめ総耕作当(そうこうさくあたい)や夫地頭(ふじとう)や首里大屋子(しゅりおおやこ)や 掟(うっち)などの役職があり、間切の長は、地頭代、間切長、さらに村長へと改称されます。
その後、昭和 20 年(1945 年)には沖縄戦、アメリカ施政権下を経て、戦後復興の中、本村は農村再建にあたりました。昭和 47 年(1972 年)には本土復帰、さらに昭和 50 年(1975 年)には沖縄国際海洋博覧会が開催され、開催市町村の一つとして開発ブームが起こり、村土の1割が本土資本に買い占められました。一方、公共投資により、道路や港湾施設等の社会資本整備が短期的に行われました。
平成 12 年(2000 年)には、今帰仁城跡が世界遺産群の一つとして登録されるなど、本村の香り高い歴史・文化や豊かな自然環境は評価されています。
今帰仁村の景観の特性
本村の景観は、美しい自然海岸や乙羽岳を頂きとした山々、世界遺産に登録された「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」のひとつである今帰仁城跡、今泊や諸志などに代表される緑豊かな集落の景観、低位段丘に広がる農地の景観、さらには古宇利大橋やワルミ大橋などの公共施設がつくりだす景観など、さまざまな要素で構成されています。
これらの景観要素を、「自然や地形が織りなす景観」「歴史や文化が醸し出す景観」「生活や営みが紡ぎだす景観」「公共施設がつくりだす景観」の 4 つに分類します。
今帰仁城跡
今帰仁城跡想像図
今帰仁城は規模の雄大な石垣がよく残り、特に大隅と外郭の石垣が大きく屏風型の曲線を描き、沖縄における屈指の名城です。城自体は発掘調査により周辺から瓦が出土しないことから瓦以外の屋根だったと考えられています。
今帰仁城跡は 13 世紀後半に築城され、1609 年に廃城となった城跡です。特に琉球王国統一以前、沖縄本島が山北(北山)、中山、山南の三国に分かれていた時代には、山北(北山)王の居城となりました。石積みで区画された 10 の郭からなる連郭式の山城で、城郭内には防御施設、統治拠点としての機能を中心としたグスク遺構や屋敷跡なども発掘されています。
こうしたグスク及び周辺遺跡が現在、国指定史跡となっています。さらに 2000 年に世界遺産に登録された「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」のひとつが今帰仁城跡であり、周囲には緩衝地帯(バッファーゾーン)が定められています。またグスクの背後には、琉球開びゃくの伝説をもつクバの御嶽が位置しています。
一方、今帰仁城跡周辺から移動した今帰仁ムラ、親泊ムラは今泊集落として海岸近くに立地しています。旧集落地には拝所があり聖域化され、祭祀場として現集落と密接な関わりを持っています。こうしたグスクと周辺遺跡(集落跡や旧道)、現集落との一体性が明らかな事例は、村内外にもほとんどなく、重要な歴史的景観として捉えることができます。
具体的には今帰仁城跡から眺める眺望景観の確保が必要となります。
今帰仁城跡・今帰仁上りの拝所
クバの御嶽
今帰仁城跡の西にある古生代~中生代の石灰岩からなる丘陵。琉球の時代から続く聖地で、地元ではウガーミと呼ばれる神域です。
今帰仁上りの拝所
今帰仁上り(なきじんぬぶい)
今帰仁村今泊の親川。清き流れの端にある拝所。
重箱、線香、酒、ご馳走を神々に捧げる聖地旧跡の巡拝行事。右奥に「天地」とあります。
「今帰仁上り(なきじんぬぶい)」は「今帰仁廻り(なきじんまわり)」とも呼ばれ、沖縄で親族一門が行う聖地旧跡(せいちきゅうせき)の巡拝行事(じゅんぱいぎょうじ)で「東廻り(あがりまーい)」と並び多くの門中(もんちゅう)によって行われています。
主な巡拝地は各門中や地域などによっても異なりますが琉球開闢(りゅうきゅうかいびゃく)の伝説に関わる御嶽(うたき)、三山時代の旧跡、村落のノロ殿内(どぅんち)、監守時代の墓などが毎年、あるいは3、5、7年ごとの奇数年を年期として廻(まわ)られます。歴史的には1838年には既に実施されていたことが確認されています。かつては道のりに数日を要し、着替えと神々に供えるご馳走を担いで参詣したと言われますが、現在ではバスをチャーターし重箱、線香、酒などを持参し年長者の指導によって一族が主要な聖地を巡拝しています。
今帰仁城跡・今帰仁城内の御嶽と祭祀
ウンジャミ(海神祭)
旧盆の明けの亥の日をはさみ三日間「ウンジャミ」の祭祀(さいし)が行われます。一日目はウーニと呼ばれる土盛で船漕ぎの行事を、二日目には「グスクウイミ」と呼ばれ城内のハサギ跡(北殿跡)で五穀豊穣、無病息災、家内安全、子孫繁栄を祈願し、さらに主郭の「火神の祠」「カラウカー」「ソイツギ」「テンチジアマチジ」の各拝所を廻って祈願をします。それから平郎門を出て城外旧道の小道(ハミミチ)を通り、シバンティーナ浜で御願します。神人を率いる先頭はトウシンケージの旗をかかげ、最後は今帰仁ノロ殿内近くの小高い丘(プイヌモー)で今帰仁城跡に向かって拝み、グスクウイミの終わりを告げます。最終日三日目はシマヌウイミといい、今泊区内の旧親泊・今帰仁の両シマの神ハサギで執り行われます。
現在では、これらの祭祀も昔から行ってきた神人達(かみんちゅたち)の老齢化等から、祭事そのものが簡略化して古式にのっとった祭祀はほとんど失われているのが現状です。
(国選択無形民俗文化財平成4年2月25日)
今帰仁グスクを学ぶ会・案内ガイドの皆さん
ユニフォームのオレンジカラーがいいですね~!お客様を元気にするカラーです。
風貌は今帰仁城のラストサムライ(失礼)のよう…ひょっとするとご子孫の方々・・・⁉
今帰仁城跡でお客様を無料でご案内するボランティア団体です。
「お客様のご希望に合わせて世界文化遺産『今帰仁城跡』の案内時間を設定いたします。」
お気軽にご相談ください。受付時間:9時~16時。年中無休。TEL・FAX:0980-56-4406
続く・・・
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
今帰仁村役場
沖縄県今帰仁村教育委員会 社会教育課 今帰仁村歴史文化センター
〒 905 - 0428 沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊 5110番地 TEL : 0980-56-3201
一般社団法人 今帰仁村観光協会〒905-0401 沖縄県国頭郡今帰仁村仲宗根230-2
今帰仁村コミュニティセンター1F TEL:0980-56-1057
一般財団法人 沖縄観光コンベンションビューロー
〒901-0152 沖縄県那覇市字小禄1831番地1 沖縄産業支援センター2F
電話:098-859-6123
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111
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