ZIPANG-3 TOKIO 2020 「 世界遺産 熊野古道のまち『熊野市』伊勢路を行く(続編-2)」日本最古の神社 花の窟(はなのいわや)神社

はじめに 記事をお届けするに当たり、この度の九州豪雨と山形沖の地震災害、並びに近年の北海道・関西地方、並びに中国四国・九州地方他、多くの大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。


花の窟(はなのいわや)神社《世界遺産》

日本最古「花の窟神社」正面鳥居

御縄掛け神事

「錦の幡」に見立てた縄で編んだ「三流(みながれ)の幡」を飾ります

太古の自然崇拝の遺風を漂わせています


パワースポットで有名な日本最古の神社

世界遺産「花の窟」は、720年(奈良時代)に記された『日本書記』の神代第一で「国うみの舞台」として登場する日本最古の神社です。祭神は、「イザナミノミコト」「カグツチノミコト」です。他の神社と異なり社殿がなく、ご神体が高さ45mの岩(窟)で、熊野三山や伊勢神宮成立前の太古の自然崇拝の遺風を漂わせています。花の窟の名は、季節の花々で神をお祀りしたことに由来するといわれており、古くから花祭りという珍しい祭礼を行っていたことがうかがえます。日本書紀に記されている事柄そのままに、今も2月2日と10月2日には、例大祭が行われ、多くの方が参拝に訪れます。

江戸時代後期の郷土誌「紀伊続風土記」には、かつて、毎年花の窟の祭りの日に、朝廷から「錦の幡」が献上されており、ある年、熊野川の洪水によって流されて以来途絶えてしまった。土地の人がその代わりに縄で編んだ「三流(みながれ)の幡」を飾るようになったと記されています。

熊野市有馬町130 JR熊野市駅から車5分
駐車場:35台 バス2台 無料 トイレあり



世界遺産・紀伊山地の霊場と参詣道

熊野古道とは、伊勢や大阪・京都と紀伊半島南部にある熊野の地とを結ぶ道のことをいいます。熊野古道を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が、平成16年7月に世界遺産リストに登録されました。




「紀伊山地の霊場と参詣道」は、「熊野三山」、「吉野・大峯」、「高野山」の3つの霊場と、これらを結ぶ「熊野参詣道(熊野古道)」、「大峯奥駈道」、「高野山町石道」からなり、三重県・奈良県・和歌山県に広がっています。自然と人との深い関わりのなかで形成されたすぐれた「文化的景観」を持ち、現在まで良好な形で伝えられていることが高く評価されました。


熊野古道の伊勢路は伊勢と熊野を結ぶ道です。伊勢から田丸(玉城町)、多気町、大台町、大紀町、紀北町、尾鷲市、熊野市、御浜町、紀宝町を経て、熊野三山へ向かいます。石畳道が良好に遺っていることが特色であり、江戸時代はお伊勢参りから熊野詣へ、そして西国三十三ヶ所観音霊場巡りへと向かう道として多くの巡礼者が行き交いました。


紀伊山地の霊場と参詣道ルール

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」は、万物、生命の根源である自然や宇宙に対する畏敬を、山や森に宿る神仏への祈りという形で受け継いできた、日本の精神文化を象徴する文化遺産です。 


私たちは、このかけがえのない資産がもたらす恵みを、世界の人々がいつまでも分かちあえるよう、参詣道を歩くにあたって次のことを約束します。


1 「人類の遺産」をみんなで守ります

2 いにしえからの祈りの心をたどります

3 笑顔であいさつ、心のふれあいを深めます

4 動植物をとらず、持ち込まず、大切にします

5 計画と装備を万全に、ゆとりをもって歩きます

6 道からはずれないようにします

7 火の用心をこころがけます

8 ゴミを持ち帰り、きれいな道にします


伊勢路 ~伊勢神宮から熊野三山への参詣道~ (世界遺産)


二大聖地を結ぶ道「熊野古道 伊勢路」

日本人にとって特別な場所である伊勢神宮と熊野三山という二つの聖地を結ぶ道が「熊野古道 伊勢路」です。江戸時代には「伊勢に七度、熊野に三度」という言葉もあったほど、誰もが訪れたいと願う憧れの地でした。


伊勢神宮での参拝を終えた旅人は巡礼装束に身を改め、いくつもの険しい峠を越え、熊野の神々に祈りをささげるために熊野を目指したといいます。そのような「熊野古道 伊勢路」には、今でもその景観や歴史、文化が随所に息づいています。


伊勢路は、三重県の伊勢神宮から和歌山県南部の熊野三山(本宮大社・那智大社・速玉大社)へと通じる参詣道です。

熊野市内には、多くの参詣道があり、市内で本宮大社へ向かう本宮道と、浜街道を通り速玉大社へ向かう道に分かれています。

熊野市内の熊野古道一覧

【1】曽根次郎坂/太郎坂(前号ご紹介済)

【2】二木島峠/逢神坂峠(前号ご紹介済)

【3】波田須の道(前号ご紹介済)

【4】大吹峠道(前号ご紹介済)

【5】観音道(前号ご紹介済)

【6】松本峠道

【7】熊野市街

【8】風伝峠道

【9】通り峠道と丸山千枚田

【 10 】浜街道(北)


現地には日本の歴史の始まりとなる深い伝承が様々な街道筋(参詣道)となり、未だに続いていると言うのは奇跡的な現象ですね〜

これこそが、やはり日本人の魂の根幹だと確信しました。恐らくは1600年も前から聖域として、俗世界の諸々、穢れを捨て去り、心に感じる御柱を求めて歩き続けた当に求道です。

特に 以下に出てくる



【6】松本峠(まつもととうげ)

熊野市の大泊と木本を結ぶ松本峠は、名勝・鬼ヶ城の山手に位置しています。

松本峠 東屋から見る浜街道(七里御浜海岸)と町並み

熊野古道の中で、最も古道らしい雰囲気を残していると評判の石畳です・・・

この石畳はその土地の潮風を含んだ浸食、人々の足跡が刻んだ年月の風化等で既に異次元に足を踏み入れた毛髪逆立つ想いを体感するのでは…

あの大蛇かと見紛う石畳を噛み砕き、這いずり廻り畝って露出固化した根幹の姿と言い、身の毛のよだつ独特の奇観を呈して居ますね〜

大きなお地蔵さんが迎えてくれます。鉄砲傷は妖怪と間違えられたのだとか…
あなたも気を付けて…


標高差120mほど約30分で峠まで上がれます。苔むした風情のある石畳は、最も古道らしい雰囲気を残しています。竹林に囲まれた峠には、鉄砲で撃たれたと伝わる地蔵が立っており、途中の東屋からは、ゆるやかな曲線を描きながらはるか遠くまで延々と続く七里御浜の風景が一望できます。熊野古道随一眺望と言われています.この道を自分の足で歩いてみると気分爽快です。この爽快感を味わってみませんか。

ここを下れば古道はなだらかな浜街道へとつづきます。


※東屋からは鬼の見晴台を経て鬼ヶ城へも降れます。桜の季節は花吹雪の向こうに太平洋が広がり、幻想的です。

■距離:約3km

■歩行時間:2時間(目安です。人によって変わります)

■最寄り駅:JR大泊駅(伊勢側)、JR熊野市駅(熊野側)


【7】熊野市街

鬼ケ城



●熊野市駅から車で約5分

世界遺産、そして国の天然記念物及び名勝「鬼ヶ城」は、数度にわたる急激な地盤の隆起と風・海蝕によって造り出された他に類を見ない奇岩地帯です。1.2kmにわたり大小無数の洞窟があり、千変万化の趣があります。「日本百景」や「新日本旅行地百選」に選定されています。

平安時代初期には征夷大将軍・坂上田村麻呂が鬼ヶ城を根城にして鬼と恐れられた海賊「多娥丸(たがまる)」を征討したという鬼ヶ城伝説が残っています。



もともとは「鬼の岩屋」と呼ばれていましたが、室町時代に有馬忠親が山頂に隠居城として山城を築いて「鬼ヶ城」と称してから、現在もその名称で親しまれてます。

駐車場から城跡へ続く山肌には、2000本の桜が植えられており当地域でも指折りの桜の名所となっています。「桜の道」と呼ばれる遊歩道も整備されており、お花見を満喫することができます。


■駐車場

第1駐車場(鬼ヶ城センター正面) :普通車70台、おもいやり駐車場2台、大型バス10台
第2駐車場(ホテルなみ前) :大型バス18台(第1駐車場が満車の場合)

■お手洗い : 有 【身体障害者用トイレ有】


獅子巖


●熊野市駅から車で約5分

世界遺産、そして国の天然記念物及び名勝「獅子巖」は、地盤の隆起と海蝕現象によってうまれた高さ約25m、周囲約210mの奇岩です。昔から南側に位置する神仙洞(しんせんどう)の吽(うん)の岩(雌岩)に対して阿(あ)の岩(雄岩)と呼ばれ、井戸川上流に位置する大馬神社の狛犬として敬愛されていました。このため、大馬神社では今も狛犬が設置されていません。

毎年、5月中旬~約1ヶ月の早朝には朝日を咥え、11月、12月の夕刻には満月を咥える姿が見られます。

毎年8月17日に開催される「熊野大花火大会」では、多くのカメラマンが集まる絶好の撮影スポットとなります。

<まめ知識>

1935年(昭和10年)に「鬼ヶ城」が国の天然記念物に指定された後、1958年(昭和33年)に獅子巖が追加指定され、名勝および天然記念物「熊野の鬼ヶ城 附 獅子巖」となりました。


花の窟(はなのいわや)

熊野市駅から車で約5分

駐車可能台数:16~20 台
お手洗い:あり

詳しくは上記をご覧ください。
更に詳しくは次号にてご紹介いたします。


産田神社(うぶたじんじゃ)


神籬(ひもろぎ)
日本で二箇所しか残っていない



熊野市駅から車で約10分

『花の窟』が伊弉冉尊(イザナミノミコト)の御陵であるのに対して、産田神社は火神を産んだがために神去った場所として一対的な意味合いがあり、神々が生活した故郷とも言える場所です。

伊弉冉尊(イザナミノミコト)が神々の母であることから、古くから安産守護や子を授かる神社として尊崇されてきました。弥生時代からの古い神社で、日本に稲作が伝えられた頃から存在していたと考えており、弥生式土器の出土もあります。

神籬(ひもろぎ)

神社に建物がなかった古代においては、『ひもろぎ』と呼ばれる石で囲んだ祀り場(祭祀台)へしめ縄を張り神様を招いたとされていますが、この神社の左右にある石の台はそれにもろぎでありであり、日本で二箇所しか残っておらず大変古くて珍しいものです。

さんま寿司発祥の地

鳥居の前には「さんま寿司発祥の地」と書かれた柱があります。直会と呼ばれる、神事の最後に参加者で神酒を戴き神饌を食する行事の中で、「ホウハン」の献立にさんま寿司の原形のようなものがあったことから、ここを「さんま寿司発祥の地」と称することにしたそうです。


駐車可能台数:10 台
お手洗い:あり


【8】風伝峠(ふうでんとうげ)



御浜町と熊野市の境が風伝峠。

有馬から本宮道は、この先で吉野へ向かう北山道と分岐しており、峠は熊野の海辺と山村を結 ぶ要衝でした。風伝とは風顛(ふうてん)の当て字で、本来は風のよく通る場所を意味し、麓の尾呂志は峠から吹く風伝颪(おろし)が転じたものと言われています。



この峠は国道311号の風伝トンネルが貫くまで熊野の海岸と山村を結ぶ重要なルートでした。古道は旧国道に寸断されつつ峠へ至り、熊野市紀和町へ抜けます。


■距離:約3.5km
■歩行時間:1時間30分(目安です。人によって変わります)
■最寄りのバス停(三重交通 瀞流荘線):高千良(浜街道側)、後地(本宮側)


【9】通り峠と丸山千枚田



風伝峠麓の後地で本宮道と分かれ、吉野方面へ北上する北山道。子安地蔵の祀られた峠を越える約1kmの古道には、シダの中によく石畳が残っています。鹿が多い”入鹿”地区、道中は鹿に出くわすことも。


山林の見通しはききませんが、峠の東には展望台があります。展望台からの眺める「丸山千枚田」は絶景で、日本一のスケールです。「日本の棚田100選」に選ばれています。早朝には朝もやに包まれる丸山千枚田と里山の風景が、また、田植え前の夕暮れどきには真っ赤な夕陽が田毎に映り込み、幻想的な情景広がります。

夕闇が迫る頃、大勢の人々が集まり丸山千枚田の「虫送り」が始まる



【 10 】浜街道(北)


夏の浜街道

海の向こうには鬼ヶ城が・・・


「日本の渚100選」にも選ばれている七里御浜。熊野市から熊野川河口にかけての浜街道に峠越えはありません。延長25kmにもなり、熊野吉野国立公園に指定されています。

七里御浜街道で巡礼道ともいわれ、イザナミノミコトの御陵(ごりょう)といわれる「花の窟(はなのいわや)」近くで西に向かう本宮道と分かれます。「花の窟」の御神体は高さ約45mもある巨岩です。


※注目

熊野川 三反帆の川舟

平安時代、上皇や貴族など高貴な人々は本宮・新宮間の行き来に川舟を利用しました。
川の参詣道として世界遺産に登録される熊野川で、3 枚の帆を掲げ、川風を受けて優雅に進む川舟。雄大な景色を眺めながら優雅な時間を過ごしてみませんか。

お問い合わせは

熊野市観光協会 電話/FAX:0597-89-0100



続く・・・



熊野古道「伊勢路」熊野市編について、ご紹介したい情報が多すぎてなかなか完結できそうにありませんので、続きは次号「続編ー3」にてご紹介することとし、本日は一番鶏が鳴いたようなので、これにて終了といたします。

尚、前号にてお約束した「交通アクセス」は、次号といたします。ご了承ください。



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使



協力(順不同・敬称略)

熊野市観光協会
〒519-4324三重県熊野市井戸町653-12 電話/FAX:0597-89-0100

熊野三山協議会
〒647-8555 和歌山県新宮市春日1-1 新宮市役所商工観光課内TEL: 0735-23-3333



※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。




ZIPANG-3 TOKIO 2020

2020年東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、神社仏閣、祭礼、伝統芸能、風習、匠の技の美、世界遺産、日本遺産、国宝等サイトを通じて平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

0コメント

  • 1000 / 1000