はじめに 記事をお届けするに当たり、このたび関東・東北地域を直撃した、強烈な台風19号による被害は特に大雨による水害で亡くなられた方々を始め、多岐に亘って被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。
8月25日は、水田天満宮 千灯明※花火大祭!夏の終わりを告げる明かりが灯る。賑わいの中に幼い頃の記憶がまざまざと蘇り、堪らないノスタルジーを覚え るのは齢いの所為なのか・・・
※千灯明 (無形文化財)
奉納
8月25日
約700年の伝統を持つと言われる荘厳華麗な夏祭りです。5町内の氏子達が境内に楼門・鳥居・日の出・帆かけ船等の形をした灯明台を数ヶ所に設けます。 夕方よりほたての貝殻カワラケ等を数千個使用し粘土で固定した灯明に種油で灯し、夜空の花火大会と共に光の大饗宴となります。
また5町内の氏子達により「はだかんぎょう」が昼・夜と繰りだし町内を練り歩き夏祭りを盛り上げます。戦後一時期までは、約30mの花火櫓を各5町内で建て競い、九州一の千灯明花火大祭でありました。
水田天満宮のすぐそばにある山梔窩※のライトアップ。まちあかり会の竹灯籠も見事です!
※山梔窩・くちなし庵
山梔窩(さんしか)は、久留米藩の勤王の志士・真木和泉守が藩政に失敗し、9年9か月もの間、ここで謹慎させられました。
真木和泉守は、ここで謹慎させられていた間、この地の若者たちを門弟として教育を行い、多くの尊王運動家を輩出させました。いわば山梔窩は、山口県萩市の松下村塾や、大分県日田市の咸宜園のような役割を果たしました。
2018年5月、山梔窩の横に、歴史資料や地元の物産を紹介する歴史交流館「くちなし庵」がオープンしました。
住 所:筑後市水田242-12
問合せ:筑後市社会教育課 tel 0942-53-4111
北東の風がすすきを揺らしはじめ、11月15日の水田天満宮「七五三子供祭」の頃になると、大人も子供も全力投入だ!エネルギー使い果たした築後の家々では、ほっと一息。新年を迎えるための準備が始まるのだろうか・・・如何にも忙しない "師走"のニ文字が瞼に浮かぶ。
一月一日は、水田天満宮境内ご本殿前において新年をお祝いする鏡割りの儀式が行われる。
令和二年(2020年)は、世界注目の東京オリンピック・パラリンピック開催年…成功祈願!
御祭神 菅原道真公
学問の神 ・ 至誠の神
由緒
水田天満宮は、御祭神 菅原道真公をお祀りし鎌倉時代の嘉禄二年(鎌倉時代1226年)に菅原長者大蔵卿為長朝臣が後堀河天皇の勅命により建立し、明治維新までは後堀河天皇勅願所の提灯が御本殿の左右に灯されていました。
御神領は、天文・天正年間には623町余り、豊臣秀吉時代に小早川秀包公(毛利秀包・久留米城主)より 一千石、慶長6年に筑後国主 田中吉政公より 一千石、江戸幕府上使 松倉豊後守重政より 一千石、久留米城主 有馬豊氏公より二百五十石、柳川城主 立花宗茂公より 五十石の寄進があり、総高三千三百石を領有していました。
また、宝歴四年(1754年)水田別当延寿王院(太宰府天満宮宮司家)信貫法印は水田天満宮から入京して桃園天皇の玉体安全の祈祷を行われたと言われています。
水田天満宮は、太宰府天満宮と御縁深く、菅原道真公の御霊魂を祀り、太宰府天満宮の重要な荘園「水田の荘」の守護神でありました。
幕末の清河八郎(新選組)の遺著「潜中始末」では「水田と申すは天満宮の鎮守処にて、太宰府に続きたる九州第二天満宮なり。」と讃えています。
御本殿※は、寛文12年(1672年)に再建され、昭和36年に福岡県文化財として指定され、平成7年に2度目の再建が行われました。
水田天満宮は太宰府に次ぐ九州二大天満宮として人々の信仰は極めて篤く、その伝統を守り続けています。
※御本殿
創建
嘉禄2年(鎌倉時代1226年)
再建
寛文12年11月22日(江戸時代1614年)平成7年10月22日(平成時代1995年)
建物
柿葺(こけらぶき)流造・正面は唐破風向拝と千鳥破風。両側には妻入唐破風車寄附
内装・外装は朱、黒の漆塗り他、ベンガラ塗り
【 境 内 末 社 】
恋木神社・靖国神社・日吉神社・玉垂命神社・稲荷神社・今宮社・今尾社・若宮社
・藤太夫社 ・菅公御子社・坂本社・天子社・八十御霊社・広門社・荒人社・八幡神社
・素盞鳴神社 ・月読神社・屋須田神社・下宮御旅所
【 奉納 臥牛(がぎゅう) 】
道真公は承和12(845)乙(きのと)丑(う) 6月25日すなわち丑年のご生誕であり、太宰府の地においてひたすらに謹慎の意を表されておりましたが、延喜3年( 903)2月25日の丑の日に薨去されました。道真公が59歳の春に亡くなられた時、お亡骸を乗せた牛車が、都府楼の北東(うしとら)の方向へ向かって進んでいたところ、 まもなくその牛が動かなくなりました。それを道真公の御心によるものだとして、牛車の止まったところ、当時の四堂のほとりに御遺骸を葬ったそうです。
人々は道真公を慕い、 お墓の上にお社を建てました。これが現在の大宰府天満宮の始まりだそうです。そしてこの由来、全国の天満宮には牛の像が数多く奉納されているのであります。
【 奉納 鷽(うそ) 】
スズメバチをくわえ、足元に蜂の巣があります。全国でも珍しいです。
古来より、天神様のゆかりの鳥として親しまれている「鷽」(うそ)は、首から頬にかけて美しい紅色で頭と尾が黒く、背や腹はネズミ色の日本海沿岸に生息するスズメ科の小鳥です。
“うそ”は幸運を招く鳥とされ、毎年新しいうそ鳥に替えると、これまでの悪い事が“うそ”になり一年の吉兆(きっちょう)を招き開運・幸運を得ることができると信仰されてきました。
天満宮と鷽の関わりについては、蜂の大群に襲われそうになった菅原道真公を鷽の群れが蜂を食べて救ったという説、天満宮を建てるための材木を食い散らかしていた虫を鷽が大挙して退治したという説など諸説あるようです。また「鷽」の字が「学」の旧字体「學」の字に似ていることから、 学問の神様である天神様と繋がりが深い鳥ともいわれています。
境内案内
㉗赤鳥居
㉕石の鳥居※ 指定文化財
※石の鳥居
寄進 慶長19年11月銘(江戸時代1614年) 花宗川用水竣工記念として田中吉政公の寄進と伝えられますが、三男忠政の銘があります柱の太い肥前鳥居系の明神鳥居で笠木・島木のゆるやかなそりと、垂直に切られた木鼻に古い様式を残しております。
⑯楼門
⑳心字池 神楽舞台
⑰飛梅
東風吹(こちふ)かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ
と詠いかけました。あるじ(道真)を慕った梅は、道真が太宰府に着くと、一夜のうちに大宰府の道真の元へ飛んで来たといわれています。
これが有名な飛梅伝説です。
⑩靖国神社
④天子社・八十御霊社・広門社(左)
⑤今宮社・今尾社・荒人社(右)
⑥若宮神社『筆の神様』
⑨幸福の一位の木
この木を左・右・左と三度廻ると幸福が訪れると言われています。
森林浴100選 水田の森
約4000坪の境内には、楠とイチイガシ(樹齢400年~600年)十数本を主幹とした森で、イチイガシは県下第一級の大木です。 平地の森としてこのように旺盛な成長を維持し、美観を保っており、参拝者の森林浴の森として親しまれています。
そのほかの貴重な文化財について
火王水王の面(一対)
天文10年9月銘(室町時代1544年)
神幸祭行幸の矛上部に飾られていたもので、木製漆箔、鼻先は継合せ彫り深く、阿吽の形の古風な面影をよく残した室町時代にふさわしい格調高い作品であります。
石の狛犬 (一対)
寄進
慶長15年4月25日銘(江戸時代1610年)
肥前国住長安
境内末社の玉垂命神社の守護狛犬として
一対鎮座しています。 彫刻としては極めて簡素ではありますが、ユニークな形相と
直線・曲線の大胆な構成で力強く表現されています。
一般の狛犬と造形感情を異にし、近代彫刻に通じる優れた作品であります。
獅子頭(一対)
永正15年10月銘(室町時代1518年)年島家政作魔除け獅子で、一木で獅子の頭部顔面を彫り裏面は刳り貫き下顎は上顎の下に入れ鉄の芯棒で口が上下に開きます。
赤黒一対で初宮詣での魔除け獅子として御本殿に鎮座しています。
次号は、全国でも珍しく一社のみ御祭神は「 恋命(こいのみこと) 」を祀る水田天満宮の境内摂社「恋木神社」のご紹介を致します。
続く・・・
鎹八咫烏記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(順不同・敬称略)
水田天満宮 〒833-0027 福岡県筑後市水田62番地の1 TEL:0942-53-8625
一般社団法人 筑後市観光協会
〒833-8601 筑後市大字山ノ井898(筑後市役所第二南別館)TEL: 0942-53-4229
筑後地区観光協議会(事務局:久留米市役所観光・国際課内)TEL:0942-30-9137
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